希望。
僕の母は山口県、瀬戸内海に浮かぶハートの形をした島、祝島に生まれた。
僕は愛知県で生まれ育ったが毎年夏休み祝島に帰るのが楽しみだった。
祖父と祖母は2人で小さな船に乗り鯛の一本釣りと蛸壺漁をしていた。
子供の頃の僕は防波堤からイカとアジを釣るのが好きだった。
千年以上の歴史のある島で歴史的にも重要な神舞(かんまい)というお祭りの思い出も沢山ある。
奇麗な海、美味しい魚、島の人たちの笑い声。
今思い返すと決して裕福ではなく贅沢とはほど遠い生活の中にもゆっくり着実に作られて来た幸せがあったように思う。
間違えなく僕にとっての故郷。
僕が小学生のころ、今現在強行工事が行われている上関原発の計画が発表された。
小学生の僕には近隣の漁協の地域住民の反対多数で実現されることはないと思われていた。
でもその考えはたまに島を訪れる親戚の楽観視した考え方だ。
住んで来た人達にとっては当時から生活や生命に関わる大きな問題だったことだろう。
その数年後祖父が亡くなった。
祖父が亡くなったことより祖母が一人で生活していくんだという事実が中学生の自分には悲しかった気がする。
祝島島民、祝島漁協の反対で計画はこの後30年近くこう着状態になり着工には至らず。
その間の中国電力からは金の力で祝島以外の全ての漁協を賛成派に取り込みに成功。
祝島は孤独な戦いを続けることになります。
僕はカメラマンを志し写真の専門学校に入り、自分のルーツを見つめるべく大好きな島の人、島の風景の写真を撮るようになりました。
今は商業写真をとっているフォトグラファーに見えている僕の人との距離感、人魅力を見つけ写真にする基礎は間違いなくこの島で育まれた。
写真学校を卒業し上京。
祖母が亡くなった。
亡くなる数年前に島で倒れ本島の病院に搬送されたが麻痺が残った。
僕はよっちゃんと呼ばれていたが従兄弟にはやっちゃんがいたりして最後の数年はよっちゃんかやっちゃんか分っていないようだった。

贅沢した話なんて聞いたことなかった。
魚の匂いの染み付いた決して奇麗ではない台所でゆっくり洗い物をしていた。
祖母が洗った食器は汚れがよく残っていた。
テレビでプロレス観るのが好きだった。
三味線が上手かったみたい、リュウマチになるまでは。
そのリュウマチで曲がった指には抜けなくなった結婚指輪が食い込んでいた。
魚を沢山食べていた祖母の骨はしっかりしていた。
祖母の葬儀では母の姿を照らし合わせ涙した。
僕は夢だった憧れていた写真家の助手になることができた。
助手の仕事の短い夏休みを使い祖父母の船を作っていた新庄造船所で写真展も開催した。
祝島と島の人達には感謝の気持ちと育ててもらった恩がある。
僕の記憶で検証はしていませんが当時祝島は700人以上の島民の中に賛成派が4世帯、島で定期的に行われた反対デモでは普段温厚な島のあばちゃん達が大きな声で汚い言葉を吐き出す姿が普段の日常との違いに戸惑った記憶がある。
島で生活することは大変だ、気象条件だけではなく生活の全てが街の暮らしに慣れた人には耐えれない苦労が多い。大変を覚悟で島に残りまたは、また島に戻って来た人達は島の本当の魅力を知っている。自然の本当の価値を知っている。子供達にこの島を自然を残したい気持ちもすごく理解出来る。
ここからは遠くに住む親戚の上関原発への思いです。
賛成の方からも反対の方からも突っ込みどころ一杯な等身大の俺の思いです。
俺は東京に住み20年夜型の生活、贅沢にもなれて電気のない生活なんて考えられない。
祝島の早朝に起きている漁業関係者やご年配の方達の数倍のエネルギーを使っているはず。
原子力発電が人類にとって日本にとって必要かを考える前に、このブログを打っているパソコンもどのようなエネルギーで動いているのか知らない。
問題意識の高い活動家の方たちと同じ志しとも思っていない。
電力会社の仕事の依頼があったら撮影するかもしれない。
でもこの上関原発のことだけは心から反対。
いろんな事情で地方に原発が建つ。
都市部の電力供給の為に。
自分の母親が生まれた島でなければ僕自身ここまで関心持てたかの自信もない。
でもそれだけではなく対岸にある島との賛成または合意ないまま30年近い前の計画を推進すること。
合意ないまま夜中にこっそり工事を始めたこと。
工事と反対派の状況が中継されています
政治家が政治家でいる為のシステム。
会社役員が役員でいる為のシステム。
マスコミが報道したがらない現実。
大事なものが見えていない、人に向いていない。
自分だけの幸せで本当の幸せなんてあり得ない。
30年前と今では電力事情やクリーンエネルギーの開発や蓄電技術など目覚ましい進歩しているはず。
日本なめんなって思うよ。マジで!
COP10議長国でしょ、この海にはスナメリや貴重な生物が沢山生息してるぜ。
中国電力、政府、が結局最後までお金でなんとか使用としている。
島の漁協は10億以上のお金を受け取らずにいる。
また工事の妨害をしているということで中国電力からの損害賠償請求が毎日加算されている。
金じゃないんだよ!
工事関係者も生活があるんだろうが、反対している島民は仕事を休みお金ももらわず30年近く田ノ浦や役所に足を運んでいることを考えて欲しい。
原発建てても何十年後には解体しなきゃいけないんだぜ、誰がやんの?
今まで贅沢もせず、ただそのままを望む願いをもう少し考えてもらえないだろうか?
工事も安全、建設後、地震でも安心なんだったら、
俺の住む品川区に建ててもらえないだろうか?
極端だというのもわかるが対岸の火事にしたくない。
無関心ではいたくない。
この長文ブログ読んでくれた皆様、ありがとうございました。
あくまでも個人的な意見です。
僕なりにいろいろ調べたり、話聞いたり、検索したりすればするほど原発に頼らず電力事情は大丈夫なはずなのです。
気になったら是非自分たちなりでいいので関心持って頂きたいです。
今起きていることを広めて欲しいです。 http://www.ustream.tv/channel/満月tv
原発のこと自然のこと家族のことを考えて欲しいです。
秦 義之
僕は愛知県で生まれ育ったが毎年夏休み祝島に帰るのが楽しみだった。
祖父と祖母は2人で小さな船に乗り鯛の一本釣りと蛸壺漁をしていた。
子供の頃の僕は防波堤からイカとアジを釣るのが好きだった。
千年以上の歴史のある島で歴史的にも重要な神舞(かんまい)というお祭りの思い出も沢山ある。
奇麗な海、美味しい魚、島の人たちの笑い声。
今思い返すと決して裕福ではなく贅沢とはほど遠い生活の中にもゆっくり着実に作られて来た幸せがあったように思う。
間違えなく僕にとっての故郷。
僕が小学生のころ、今現在強行工事が行われている上関原発の計画が発表された。
小学生の僕には近隣の漁協の地域住民の反対多数で実現されることはないと思われていた。
でもその考えはたまに島を訪れる親戚の楽観視した考え方だ。
住んで来た人達にとっては当時から生活や生命に関わる大きな問題だったことだろう。
その数年後祖父が亡くなった。
祖父が亡くなったことより祖母が一人で生活していくんだという事実が中学生の自分には悲しかった気がする。
祝島島民、祝島漁協の反対で計画はこの後30年近くこう着状態になり着工には至らず。
その間の中国電力からは金の力で祝島以外の全ての漁協を賛成派に取り込みに成功。
祝島は孤独な戦いを続けることになります。
僕はカメラマンを志し写真の専門学校に入り、自分のルーツを見つめるべく大好きな島の人、島の風景の写真を撮るようになりました。
今は商業写真をとっているフォトグラファーに見えている僕の人との距離感、人魅力を見つけ写真にする基礎は間違いなくこの島で育まれた。
写真学校を卒業し上京。
祖母が亡くなった。
亡くなる数年前に島で倒れ本島の病院に搬送されたが麻痺が残った。
僕はよっちゃんと呼ばれていたが従兄弟にはやっちゃんがいたりして最後の数年はよっちゃんかやっちゃんか分っていないようだった。

贅沢した話なんて聞いたことなかった。
魚の匂いの染み付いた決して奇麗ではない台所でゆっくり洗い物をしていた。
祖母が洗った食器は汚れがよく残っていた。
テレビでプロレス観るのが好きだった。
三味線が上手かったみたい、リュウマチになるまでは。
そのリュウマチで曲がった指には抜けなくなった結婚指輪が食い込んでいた。
魚を沢山食べていた祖母の骨はしっかりしていた。
祖母の葬儀では母の姿を照らし合わせ涙した。
僕は夢だった憧れていた写真家の助手になることができた。
助手の仕事の短い夏休みを使い祖父母の船を作っていた新庄造船所で写真展も開催した。
祝島と島の人達には感謝の気持ちと育ててもらった恩がある。
僕の記憶で検証はしていませんが当時祝島は700人以上の島民の中に賛成派が4世帯、島で定期的に行われた反対デモでは普段温厚な島のあばちゃん達が大きな声で汚い言葉を吐き出す姿が普段の日常との違いに戸惑った記憶がある。
島で生活することは大変だ、気象条件だけではなく生活の全てが街の暮らしに慣れた人には耐えれない苦労が多い。大変を覚悟で島に残りまたは、また島に戻って来た人達は島の本当の魅力を知っている。自然の本当の価値を知っている。子供達にこの島を自然を残したい気持ちもすごく理解出来る。
ここからは遠くに住む親戚の上関原発への思いです。
賛成の方からも反対の方からも突っ込みどころ一杯な等身大の俺の思いです。
俺は東京に住み20年夜型の生活、贅沢にもなれて電気のない生活なんて考えられない。
祝島の早朝に起きている漁業関係者やご年配の方達の数倍のエネルギーを使っているはず。
原子力発電が人類にとって日本にとって必要かを考える前に、このブログを打っているパソコンもどのようなエネルギーで動いているのか知らない。
問題意識の高い活動家の方たちと同じ志しとも思っていない。
電力会社の仕事の依頼があったら撮影するかもしれない。
でもこの上関原発のことだけは心から反対。
いろんな事情で地方に原発が建つ。
都市部の電力供給の為に。
自分の母親が生まれた島でなければ僕自身ここまで関心持てたかの自信もない。
でもそれだけではなく対岸にある島との賛成または合意ないまま30年近い前の計画を推進すること。
合意ないまま夜中にこっそり工事を始めたこと。
工事と反対派の状況が中継されています
政治家が政治家でいる為のシステム。
会社役員が役員でいる為のシステム。
マスコミが報道したがらない現実。
大事なものが見えていない、人に向いていない。
自分だけの幸せで本当の幸せなんてあり得ない。
30年前と今では電力事情やクリーンエネルギーの開発や蓄電技術など目覚ましい進歩しているはず。
日本なめんなって思うよ。マジで!
COP10議長国でしょ、この海にはスナメリや貴重な生物が沢山生息してるぜ。
中国電力、政府、が結局最後までお金でなんとか使用としている。
島の漁協は10億以上のお金を受け取らずにいる。
また工事の妨害をしているということで中国電力からの損害賠償請求が毎日加算されている。
金じゃないんだよ!
工事関係者も生活があるんだろうが、反対している島民は仕事を休みお金ももらわず30年近く田ノ浦や役所に足を運んでいることを考えて欲しい。
原発建てても何十年後には解体しなきゃいけないんだぜ、誰がやんの?
今まで贅沢もせず、ただそのままを望む願いをもう少し考えてもらえないだろうか?
工事も安全、建設後、地震でも安心なんだったら、
俺の住む品川区に建ててもらえないだろうか?
極端だというのもわかるが対岸の火事にしたくない。
無関心ではいたくない。
この長文ブログ読んでくれた皆様、ありがとうございました。
あくまでも個人的な意見です。
僕なりにいろいろ調べたり、話聞いたり、検索したりすればするほど原発に頼らず電力事情は大丈夫なはずなのです。
気になったら是非自分たちなりでいいので関心持って頂きたいです。
今起きていることを広めて欲しいです。 http://www.ustream.tv/channel/満月tv
原発のこと自然のこと家族のことを考えて欲しいです。
秦 義之