スピリチュアル ガイド ひろみんです
だいぶ遅いですが、
メリークリスマスでしたね
私は、女子友達とホームパーティしたり、
イブは仕事…しながらも、
みんなでスイーツ
を食べるひとときを過ごしたりしました。
今日は、そんな明るいテーマではないのですが、
ちょっと氣づきがあったので、
幸せと不幸の価値基準について書いてみたいと思います。
いや、自分の今年いろいろを振り返ってみて、思ったこと。
今思うと、そのときは不幸と思ってたことも、
黒斎さんが言うように、すべてよりよきことのために
起こってるんだな~ってこと。
また、別のスピリチュアリストの方が言うように、
すべては氣づきに至るために起こってるんだな~ってこと。
私も一年くらい前は、
不幸になりたくない! 幸せになりたい! と思っていたし、
不幸と思われる出来事が起こるたびに落ち込んでいた

でも、その不幸と思われる出来事が、
よりよき未来のために
起こっているとしたら
?
?その不幸と思われることを
乗り越えたことで、
もっと幸せになるんだとしたら
?
?その小さな不幸を避けようとすることで、
よりよき成長、未来から遠ざかっているとしたら
?
幸せを追い求めるがために、
不幸を必要以上に恐れ、避けようとしたがために、
幸せから遠ざかっていることに
なるのではないか?
そんなことを考えたら、
もしかして、不幸なんて、
不幸なことなんてないのではないか
という思いに至りました。
だいたい、不幸だ、幸せだ、なんて、
すべて自分がレッテルを貼っていること
。
。その時点での判断でしかない。
人生80年として、不幸だと思う期間が1年あったとしても、
そこで氣づけて、
残りの何十年が幸せになるかもしれない。
なんだか、不幸を避けようとして、
必要以上に恐れてないかい?
もしかしたら、それは神様からのギフトかもしれないのに
。
必要以上に不幸に敏感に、
幸せに不感症に、なっているかもしれない。
う~む。なんだか達観しつつある
今日この頃。
そもそも不幸なんてないんじゃないか、
なんて思い至ってしまったから、
大変なのよ~
という友達にも、なんとかなるよ、としか言えない自分
という友達にも、なんとかなるよ、としか言えない自分
でもね~、大丈夫
。
必要以上に不幸に敏感にならなくて。
神様は私たちを幸せにするためにいるはず。
怖れずに、今を生きればいいでないなかと思う、今日この頃です

以上、スピリチュアル ガイド ひろみんでした。
