こんにちは。イトーキーです。

 

今日もなんとか、ひと段落。

 

コシオリーナのコルビーに整体に通づる方がコメントをしてくれていました。

「身体は不調を色んなところに受け持たせ、それを順繰りまわしながらバランスをとっているのだと」。なるほどなぁ。分かる気がするなぁ面白いなぁと思いました。

 

フォーカシングは不調がある箇所があれば、それをサポートしてくれている箇所もあると考えて、「不調がある部分」と「支えてくれている部分」を探してみたりすることがありますね。

 

今日は移行対象のお話し。

最近どうも、このことを思い出すことが多く、所々で愚痴のように吐き出しておりますが。

 

イギリスの精神分析家D.ウィニコットがこの理論を組み立てたと思います。ウィニコットは「あそび」を重視していますね。

机の上にエンピツがあったとして、そのエンピツはどこまでいってもエンピツでしかないです。しかし子どもがそれを拾い上げ「ブーン。お空を飛んでいます。」なんて言うと、エンピツは飛行機にもなります。エンピツでしかなかったものは、エンピツでありながら飛行機にもなりえるんですね。逆に言えば、エンピツでもなければ飛行機でもなくなるのですが。

 

エンピツという事実がありながら、飛行機という幻想が織り交ざってくる。どちらでもあり、どちらでもない、そんな体験。

 

移行対象は、幼子が母から自立したい心と、でもまだ甘えていたい気持ちに、うまく折り合いを付けてくれる存在です。

ただの「もの」であり、でも母のようなものでもあり、友だちのようでもあり・・・。どれだけ深く愛しても、傷つけても変わらずにいてくれる。そして、面白いことに最後はどうなるかというと、「リンボ界に葬られる」、言い換えるなら「未練なく忘れ去られる」なんていわれています。

 

(リンボ界・・・地獄と天国の中間の世界。洗礼を受ける前に死んだ幼児の霊魂が行く世界。)

なんと説明していいか分からないですが、現実に残るわけでもなく、あの世に行くわけでもなく・・・。あったかどうか分からないけど、ちゃんと意味があったものとして、体験の中に溶け込むとでもいいましょうか。

 

私はこの移行対象を、上手に忘れ去ることができなかったのです。私の移行対象のようなものは、どこかの駄菓子屋でもらった丸ヒゲのプロレスラーのぬいぐるみでした。傍目に見たら気持ち悪かったでしょう。しかし私のお気に入りでした。寝る時は掛け布団をかけてあげて一緒に寝てました。そんな中、ある朝起きた時にいなくなっていたのです。当時は私の寝相が悪かったか・・・と諦めていましたが、よくよく考えたら「あれは親に捨てられたんだろうなぁ。気持ち悪がってたもんなぁ」と別の考えが浮かんできました。(親に確認は未だ取ってないですが。)

 

こんなかんじのやつ。

 

そんなことがありまして、見事に私の移行対象は私の記憶と心に残り続け、リンボ界に送られず、私に忘れ去られることも、体験の中に溶け込むこともなくなってしまいました。

 

実物がなく、未練だけがある・・・。少し悲しいものです。

 

どうか、皆さんはどんなに意味がなさそうなものでも、大事にしていそうなものは、捨ててあげないようしてあげてください。未練あまって恨みとなります。