今日は日本にとって大きな境目
3月11日の出来事をも一度書きたいと思います。
私は震災のその時、東京駅にいました。
それこそ今から新幹線に乗る所だったのです。
帰宅困難者が大勢いて夜を明かした人も大勢いたようです。
私は電話も通じない中、
次の日の福岡の仕事に間に合う事は無理かもしれないと考えていました。
しかし、それよりも揺れ続ける余震の中、
柱が折れ、天井が崩れはしないかと
死の恐怖さえ感じていました。
ところが、翌日の仕事に私は無事間に合っていました。
あまり報道されていないようですが
震災後19時30分ころだったと思います。
新幹線が2本だけ動いたのです。
混乱を避けるためか構内放送もかからず、
ざわついた雰囲気を察した人だけがホームに並んでいました。
私もそれに気が付き、新幹線に乗ることが出来たのですが、
乗りこむ時の人々の混乱には恐怖を感じました。
身なりのきちんとしたサラリーマンらしき男性が
目の血走った形相で前の老婆を踏みつける勢いで
必死で押していました。
まるで「ばあさん、どけよ!俺がのるんだよ!」
という態度です。
いつもは紳士な人かもしれませんが、必死のあまり
まるで鬼のような顔つきになっていました。
品川駅では更に乗れない人々の怒号が外のホームから響きます。
「もっとつめろヨ!!乗れないじゃないか!!」
必死に中年男性が怒鳴っている声が
車内の人々の心臓にも刺さる感じでした。
「戦後みたい・・・」私は戦後すぐを経験したことはありませんでしたが
こうつぶやいていました。
戦後人々が電車に殺到する様子や闇市の混乱を重ねて想像したのでした。
東京駅で、すでに満員なので乗れるわけもなく電車は出発したのです。
時速30キロで・・・
車内はシンとして皆緊張している雰囲気で誰も口をききません。
新横浜にようやくついたのは2時間後でした。
「新横浜~」そうアナウンスが車内に放送されると
人々から「あ~」と一斉にため息が聞こえました。
まだ横浜なのか・・・まだ油断できないという意味合いが込められていました。
でも、その頃からでしょうか。
携帯が徐々に繋がり始めました。
皆車内で掛ってくる電話に安否の通話をしている人が
ポツポツ出始めました。
皆、口ぐちに「死ぬかと思った」と話しています。
皆、同じ体験をして気持ちがよく解るので誰も電話を咎めたりしません。
それより連絡が取れて良かったね。
と思っている雰囲気が車内に流れてきます。
不思議ですが、車内の皆が仲間で気持ちがひとつのように感じられました。
こんな体験は初めてです。
誰も文句ひとつ言いません。この電車に乗れただけで
時速30キロだろうが、ありがとうという気持ちで一杯です。
そうそう、東京駅の構内でキヨスクのお兄さんがくれた
いつもはゴミの段ボールも金色に輝いて見えるほど
凄くありがたかったです。
私はノート位の小さな段ボールを抱えたまま車内にいました。
ありがたかった気持ちが強すぎて
どうしても手放す事ができなかったのです。
すると目の前の女子大生?くらいの若い女の子が
緊張した疲れもあったのか、ヘナヘナと床に座り込んでしまいました。
その子はとても疲れて立ち上がれそうになく、うつむいていました。
「段ボール使う?」と言うと「いいんですか?ありがとうございます」
その子も段ボールを嬉しそうに受け取っていました。
車内不思議な温かい連帯感は味わった事のないものでした。
一緒に困難に合った時に起こるものなのでしょうか。
ところが、その女の子が「ありがとうございました」
京都で下車したあと
大阪で男子大学生がドヤドヤと乗り込んできたのでした。
その男子大学生達は大声で話をしています。
今までのまわりを気づかって皆、
そっと話していた車内の静寂が破られました。
しかも、内容といえば
「地震なんて俺達に関係ないのに
何で俺達が遅れた電車にのらないといけないんだ!!」
てな文句です。
東京から乗ってきた人からすれば乗れただけでも
ありがたい話なのですが・・・
私はこのとき、私もああだったんだろうか・・・
日頃のありがたさに鈍くなっていたのだろうか・・・
と考えさせられました。
で、ガヤガヤとこの男子学生たちという異物が乗ってきた時に
シャボン玉がはじけるように
車内皆の思いやりの連帯感は消えてしまいました。
急に皆、知らない他人同士になったのです。
無事だったからこそ言えることですが、
私は震災を経験して良かったと今でも思っています。
なにか忘れていた何かを思い出させてくれたか・・・
もしくは、新しい何かを学習した気がします。
この後の話もあるのですが、その話はまた今度。
長い文を読んでくれてありがとうございます。