一日の中で
みなさんのブログを見るという動作が

一連のものになっているというか


スマホ依存とは思うけど、

その流れの一環で
必ずブログも開きます。


書くのはなかなかサクッとは
できないけど

読むのは隙間時間でもできますし。


ベッドにごろんとしながら
数時間読みふけることもありますし・・・

書くほうも

結構な年月
ぽつりぽつりとやってきて


やっててよかったなー、と。


昨日お風呂で
シャンプーあわあわしてる時に
ふと思いました。


日常にとけ込みすぎて


会ったこともないのに
妙に親近感のある人がたくさんいて。


昨今のコロナ禍で
リアルの友達ともなかなか会えず


下手すりゃ10年来の友達かってくらい
本気で心配したり喜んだり

勝手にしてます。


長くやっていると

始めた頃から読んでる人の人生とか

本当に進んでいて。


進む、という表現がよいのか。
わからないけれど


着実に歩んで、います。


婚活で書いてたから
婚活してる人のをよく読んでたけど


何年も立てば

結婚してる人、
子供いる人

今も婚活してる人

婚活やめた人。


引っ越したり、家を買ったり

親を看取ったり。


まーさまざま。


これを年月かけて見てきたから


お友達気分もハンパないんだろうな。と。


勝手に戦友です。


中には消しちゃった人や


今は読んでるだけって人もいるだろし。


その全部、ありだと思う。


ブログはひとりごとだから

何を書いても自由だし

書く人が選んでいいんだよね。


ってことは別に
日記帳に書いたって同じなんだけど。


でも、顔も名前も知らない人がいる
ココに書き込むことで


知らないうちに支えられてきたことって
あるんだよなぁ・・・

たまに、
人のブログの内容を

すごく否定するブログを書いてる人もいて。


こんなこと書いてたけど
本当なのか!?


とか


こんなこと言ってるけど
自業自得じゃないか!非常識だ!


とか。


私はそのどっちのブログも読者なので
ちょっと悲しくなりました。


たまたまだったんですよ。


どっちも読んでたのは。


で、ある日、片っぽのブログに
ある人を否定するような記事があって。


たまたま、その対象の人のブログも
読者なもんで


すぐに誰のことを言っているのか
わかってしまった。


その人の言いたいことも
わからなくもなくて。


でも、
完璧な人なんていないじゃないですか。


仮にその人が書いてることが
嘘だったとしても


それはそれでいいじゃない。


所詮ブログ。


嘘かどうかを検証・・・というか


こう書いてるけど
だっこうなはずだ。

こう書くのはおかしい、とか


書く人の自由なんですよね。


フィクションでも
ノンフィクションでも


いいんですよ。


私はノンフィクションだと思って
読んでるのですけど


嘘だという人の気持ちも
わからなくはない部分もあって。


でも、だからって・・・。


逆を言えば



否定ブログも
書くのは自由なんですが。

ただその否定ブログは
書いてる方もつらそうで・・・


文字にすることでラクになってる
ってわけでもなさそうな・・・


いずれにしても
当事者が読んだら
少なからず傷つくと思うので


ひとりごとだけど


自由なんだけど、


言葉を選ぶか
控えめだったらいいなあと


思うよってことを
ひとりごとでささやいてみました。


他の記事は
全然つんけんしてなくて


とっても親しみもって
読ませてもらってるんですけどね。

たぶん、目についちゃうんだろうな。
相性というか。


私も
苦手な人の動向が
気になってしまうタイプだったので


それで自分も苦しくなるっていうのが 
想像できてしまって。


私は最近
逃げることを覚えました。


苦手な人のことは


見ない
聞かない
気にしない


苦手って


ある意味とってもキニナル存在。



ある意味、知りたくて仕方ない。


でもすごくすごく
自分自身を消耗させてしまうから


私は疲れることから
目を背けることにしました。


そしたら、
ちょっとラクになりましたよ。


ひとりごとだから

本当自由なんですけどね。


文字で傷つく人が
あんまりいないといいなと思います。



書いた中身とは関係ないけど

いつも元気をくれる

ブロ友(と私は思ってる)のみなさん



ありがとうございます☆





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