誰かに酷いことを言われた、酷いことをされた、
自分がされたことや負った傷っていうのは、
中々忘れられず解消できなくて
いつまでも自分を縛るよね
それはなんでかというと、「自分は被害者だ」と思うと
人は受け身になって人生の主導権を握れなくなるからなの
「傷つけられてしまう私」「酷いことをされる私」「受け入れられない私」
という非力で誰かの言動に左右される自分の在り方になってしまい、
自分からアクションを起こすことができなくなる
そして、もう傷つけられないために自ら進んで自分以外の誰かに主導権を明け渡してしまうから、
また「される」「させられる」という現実しかやって来なくなるんだ
自分が「被害者」でいることを心底「もうやめよう!」と思わないと、
ずっと被害者で在り続けるんだよね
それで苦しいのは誰かって、他の誰でもない自分自身
でも、被害者でいれば、自分が自分の人生の主導権を握ることから逃げていられるという利点もあるの
自分が生き方を決めていることに気付かないフリをしていれば、
誰かのせいにできて、自分自身の本音と向き合わなくて済むからね
本音に向き合うのは時にとても勇気のいることだ
この被害者の甘い罠から抜け出さないと、本当に自分らしくは生きられないし、
感情をあるがままに感じることはできないよ
だから、自分が被害者意識になっていることに気付けたなら、
どんなに「あいつ」のせいにしたくなっても、
まずは自分に意識を戻して、自分の心と繋がろうと決めるんだ
自分が自分の人生を創造できることを思い出すんだ
そして、相手が言った言葉を自分の人生に採用するか、
しないかを選べるんだってことを忘れないでね
相手の言動に傷ついたとき、
「なぜあいつはあんな事が言えるんだろう」とか「こんなこと在るべきじゃない」と
相手に対する批判の思考がまず湧くと思う
その後に「自分がこうだから…」「自分が悪いから」という自分を責める思考も湧くよね
その思考が湧いたときにね、
「私はこの言葉を、これからも私の人生に採用するのか?」
と自分に問いかけるの
自分が選べるの
選んでいいの
あなたがあなたの人生の主役なんだから
自分自身の心に問いかけるんだよ
例えば、親に言われた「あんたは何やっても続かないね」「あんたは思いやりのない子だね」という言葉
その言葉に傷ついたとして、
「私は親にこんなことを言われて育った」と根に持って被害者意識になってしまったとする
大人になって「あ!わたし被害者意識になっていたんだな」と気付けたら、
「私はこの言葉をこれからも自分に課すの?」
「この言葉をこれからも人生に採用する?」
「信じ続ける?」
と自分に問い直すんだ
そして、ハートの答えが「NO」なら、
その言葉を「私はもう選ばない」と自分自身に宣言してあげればいい
「何やっても続かない」も「思いやりがない」も真実なのではなく、相手の主観でしかない
その時の親の生きて来た背景、フィーリング、タイミングの表れであって、たった一つの真実ではない
自分自身がその言葉を信じて、握りしめていたから現実に対する効力を持っていただけで、
信じることを変えれば、違う現実が切り開けるのだから
もう自分自身のために「被害者」でいることをやめようね
「もう自由になっていいよ」と自分に言おう
そして、言われたりされたりして信じ続けたその「在り方」の反対側を
今度は信じて生きるんだ
「私は自分で決められる」
「私は愛される人間だ」
「私はそのままで愛される」
「私は思いやりがある」
「私は好きなことは続けることができる」
「私は人を愛せる」
あなたにとってのその言葉が何かはわからないけれど、
被害者をやめて自分の人生の主導権を握り、採用する言葉は自分で決めよう
そうすることで、あなたはどんどん自分らしく生きられるようになっていくよ
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