『街道をゆく2』司馬遼太郎(朝日文庫)

 

 

 

 

 この有名な紀行文の連載は初出が1971年から1972年ですから、40年以上前の紀行文ですが、全く古さを感じさせません。

司馬遼太郎さんの文章は、なによりも肯定から話を始めます。

否定ではなく、すべて肯定を前提としているので、大変、穏やかに感じます。

韓国を旅行しながら、歴史に想いを馳せて、文化の違いを目にして、実に頭を働かせているというのが、よくわかる「頭のいい文章」だと思います。

 

 意外だったのは、司馬遼太郎さんは美術オンチで、美術品には詳しくないそうです。仏教についての歴史はわかるけれど仏像や建築物の蘊蓄というのはほとんどありません。歴史も日本人はどこから来たのか、というレベルの高さと深さであって、日本というより倭の国についての考察が大変すぐれています。しかもわかりやすく、穏やかです。

 

 日本も韓国もいいところ、悪いところをリベラルな穏やかな目で見通していて、近視眼的な物の見方を一切しません。

そこが良かったと思うのです。読んでいて、安心していられるし、知らなかった歴史のあの事、この事をわかりやすく、なめらかに説明されていますから。

百済が新羅に滅ぼされるのは、日本で大化の改新があった頃の話ですよ。

 

 この旅では、ミセス・イムという大変優秀なソウルっ子のガイドがつきますが、ミセス・イムを通して韓国人というものをよく観察しているのがわかります。

司馬さんが行きたいと候補にあげたのは、九割が農村で都会っ子、ミセス・イムは納得がいかず、観光名所なら色々あるのに何故何もない農村に行きたいのか、といいつつも、実に豪快かつ繊細で明晰なガイドをしてくれます。

司馬さんがミセス・イムに対して常に敬愛の情を抱いているのがわかります。

 

 かといって、穏やかだけではありません。

豊臣秀吉の朝鮮征伐に対しては大変厳しく批判されているし、倭人(日本人)は「文化は興すが、決してみずから文明というおそろしいものは興そうとはしない」と書かれています。

 

 穏やかでリベラルだけれども、決して優しいだけではなく、言うべきところはきちんと言う。ちゃんと流れを読んで、読む側に不快な思いをさせたり、偏見を抱かせたりしないよう細心の注意を払いながらも、歴史への思いを馳せる事ができる。

まさに知の紀行とも言える、美しい日本語で書かれた紀行文です。

 

 司馬遼太郎さんのライフワークとも言える紀行文で、いつかすべてを読破したい、とは思います。