『すいかの匂い』 江國香織(新潮文庫)

 

 

 

 

 「記憶は断片的だがはっきりしていて生々しい。たとえば父の晩酌用の枝豆や空豆の、冴えた緑、やわらかな緑。汗をかいたビール瓶のちゃいろ」

 

 この12の短編のすべて語り手は、小学生の少女です。

年代的にはほとんど同じということもあるのでしょうが、昭和の小学生たち、毎回、同じ主人公ではないのに、この短い物語にでてくる12人の少女がまるで自分のように思えるのです。

それは江國さんのその紡ぎ出す世界が、もう誰にも真似できないような技で記憶のワンシーンを見事に切り取って、ないでみせるからだと思うのです。

 

 すいかの匂い、といわれて、ほのかな、水っぽいような、草のような匂い・・・そういったほのかな匂いだけでなく、子供ならではの周りの大人や他の子供へのほのかな匂いのような嫌悪感を描く。

なんかいやだな・・・でも、逃げ出すほどでもなく、怒るほどでもなく、泣くようなことでもない。

なんとなくいやだな・・・少女たちは、そんな嫌悪感を抱きながらも普通に生活して、大人になる。

 

 大人には2種類あって、すぐに叱りつける「怖い大人」と、頭をなでたり、子供言葉で

近寄ってくる「気持ちわるい大人」という文章に驚くと同時に、今、自分が大人になって

どう子どもを見ているのか・・・まで、胸のうちを読まれたような気分になります。

 

 子どもの頃の遊び。松の葉でひっぱりあう、おしろい花で落下傘を作る、いちごパックを2枚重ねてその間に色とりどりの布をはさんで、小物入れにする、紙せっけんを集める・・・人さらいが出るといううわさが立つ。

そういった子ども時代にしか見ていないようなことまで、江國さんはきっぱりとした、はっきりとしたそして難しい言葉を使わないで、目の前にさりげなく出してみせます。

 

 江國さんの物語は、どれも不思議と物悲しいと同時に、心なつかしい。

そんな雰囲気が、本のタイトルとなった「すいかの匂い」なのだと思います。

 

 夏の物語が多いのも、やはり子ども時代、夏というのは、夏休みがあって、普段と違う生活という区切りがあって、夏の蝉、夏のすいか、夏の花、夏の海水浴やプール・・・そして夏は葬式が多いといったことまで、思い出させてくれます。

その思い出すということは、楽しいとか、感動といったことではなく、静かに脳裏にもう二度と来ることのない夏休みが再びやってきたような、そんな気持になるのです。