『有頂天家族 二代目の帰朝』 森見登美彦(幻冬舎文庫)

 

 

 

 

 京都狸天狗絶叫大宴会娯楽小説、第二弾であります。今回、文庫版で再読。

京都、糺ノ森に住む下鴨総一郎狸の子どもたち、四兄弟を中心として、また狸と天狗と人間が大騒動。

 

 生真面目すぎる長男、矢一郎。

カエルになって寺の井戸に沈んでいる二男の矢二郎。

この物語の狂言回し、阿呆の血が騒ぐと首をつっこまずにいられない、三男の矢三郎。

まだ子狸(少年)で、健気な幼い四男、矢四郎。

偉大なる父上が、人間たちによる金曜倶楽部で、年末の狸鍋となってしまって以来、母上を大事にして、四兄弟は助け合って暮らしている。

 

 狸たちは天狗たちを畏怖していて、天空は天狗たちの世界。

かつては、大天狗と呼ばれたものの今はアパート住まいの天狗の赤玉先生。

赤玉先生が見つけ出した、人間ながら立派な天狗となるだろう、先生の想い人、弁天。

 

 そしてこの物語は、赤玉先生が明治の頃、連れてきた二代目が英国から帰国するところから始まります。

英国紳士というコテコテのイメージそのままの高慢、冷徹そして隙のないダンディさでもって京都の狸たちを驚かす二代目。

 

 二代目の冷徹ぶりというのが森見さんの小説ではめずらしいタイプの万能型でした。

さらに地獄絵図から、地獄とこの世が通じていて、そこから策士、天満屋の登場。

一作目が家族愛、家族団結の物語だとしたら、二作目は愛憎の物語なのですね。

いい人たちのいい話でも、勧善懲悪の物語でもありません。

矢三郎の根本となる考えは「面白き事は良き事なり」ですから、ヒドイ目にあっても全然へこたれないのです。

 

 生き物の心の底にある「憎い」という感情をここまで出した物語もないだろうと思うのです。

軽いようで軽くないけれど、重たくもない。

ひねくれ者だけれども、いつもひねくれている訳ではない。

いい加減なようでいて、用意周到。

いつも不機嫌で天の邪鬼な天狗の赤玉先生が、ちらりとみせるいかめしい優しさにほろり。

 

 大団円で終わるのではなく、余韻を残して終わっていて、単行本の時は第三部の予告つきでしたが、文庫ではなし。

この続編、前作から7年半だといいます。そうすると第三部もそのくらい?

 

 

終わり。