『盗まれた街』 ジャック・フィニィ(ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

 このSF小説の古典は、映画で『ボディ・スナッチャー』として何度も映画化されていたので

知っていましたが、原作を読んでみました。

 

この小説が書かれたのは、1955年。

この小説が、その後の作家や小説に影響大だった、という意味ではアイザック・アシモフの『われはロボット』に近いものがあるかもしれません。

 

 のどかなアメリカの小さな街、サンタ・マイラ。

そこで開業医をしている医者、マイルズが主人公ですが、街のお医者さんということで、「どんな患者も診る」医者です。

だからこそ、この物語の発端となる患者が「家族が家族でなくなった。同じなのに別人だ!」という訴えが続々来るのを不思議に思う。

カウンセラーの役割も果たしている訳ですが、だんだん、その「同じ人なのに違う人」というのがあまりにも多いのに、ひとりの妄想や思いこみではない・・・と気がつきます。

 

 ベッキィという女性も、そんな患者のひとりでしたが、マイルズが若い頃から好感を持っていた

女性でした。

マイルズとベッキィは、「変わってしまったひとたち」から逃げ回ることになります。

あくまでも闘ったりするのではなく、女性を守り、攻撃的にはならない、誠実な男という描き方と美しくて賢くて、思慮深い女性という、今の時代ではなつかしいと思う、のどかさが感じられます。

 

 男は女を守り、女は家を守る・・・そんな関係がずっと保たれていますが、マイルズもベッキィも

お互い離婚したばかり、ということですぐに逃亡の最中に熱烈な愛!が生まれはしません。

 

スティーブン・キングがこの『盗まれた街』の大、大、大ファンだそうで、スティーブン・キングへの影響も大きいのでしょうが、無機的な世界のSFというよりファンタジック・ホラーというべき世界です。

この小説の「形をぬすんだところで、心はぬすめない」というテーマが見えるような気がします。

 

のどかな田舎に近い、つまり人間関係が狭い、街の人はほとんど知っているという狭さが、怖さにつながっていきます。

図書館に行けば子どもの頃からの司書の女性が「本を読む気になった?」と声をかけてくるような世界。それが、見た目は同じでも変わってしまったら?

マイルズの心理は、疑問から恐怖へと変わりますが、やはり、守る者がいる、という志が一本貫かれていて、その部分はいつの時代になっても変わらない「動機」かもしれません。

 

 

終わり。