『横道世之介』 吉田修一(文春文庫)

 

 

 

 

 横道世之介くん、平凡な青年。

しかし、平凡という言葉をよく考えると漠然としています。

この物語では横道世之介くんだけでなく、出てくる全ての人の容姿が書かれていません。

1980年代後半、「市ヶ谷にキャンパスのある」大学に入学した世之介くん。

九州から上京して、東久留米市にアパートを借りて一人暮らし。

その大学1年生の4月から翌年3月まで、大学一年間の合間に、現在がはさまれます。

 

 目立った特徴もない容姿、勉強も出来る訳でなく、出来ない訳でなく、人づきあいもそこそこに、特に人を笑わせたり、リーダーになったりはしない。気の利いた言葉も出てこない。適度に真面目で、適度にいい加減。ひねくれた所もなく、すんなりガールフレンドもできるし、車の運転もちゃんと免許がとれる。留年することなく、進学する。

 

 吉田修一さんの描く大学生たちは、本当に身近な大学生たち。

時代も1980年代、バブルの頃であり、まだまだ学生はバイトに、サークルに、遊びに熱中していても、どこかしら呑気さが漂います。

考えてみたら、世之介くんは私と同世代な訳で、読んでいて特に目立った特徴はないにしても、いたなぁ、こういう呑気な男の子・・・と思わせるものがあります。

 

 世之介くんは、あえて言うなら欲がないのです。

自分は特別な存在である、という自意識過剰な所がないのです。

ちょっととんちんかんなバブルの成金お嬢様、祥子ちゃんとつきあう事になりますが、世之介くんはやさしい。やさしいけれど、ただそれだけ、という気もします。

その後の登場人物たちからすると、世之介くんは、空気のような人だったのだ、ということがわかります。

 

 別れ別れになって、年月を経て、思い出される世之介くんは、いつも呑気で欲がなく、やさしい、ちょっと田舎者な所がいつまでも抜けなくて、ぎらぎらした所がない。

夢もないかわりに、絶望もない、世之介くんのいいところはそんな所なのでしょう。

読んでいて世之介くんに思い入れはしなけれど、かといって嫌悪感もわかないという不思議。

 

 吉田修一さんの描く世界は、あまり特殊な人は出てこない近所の話みたいなものがあるように思うのですが、そんな「特殊じゃない」を小説にして飽きさせる事のない、語りの上手さを感じます。

文庫版の表紙の写真がとても好き。

 

 

終わり。