昨日はラグビーワールドカップの

 

決勝戦でしたね!

 

 

結果としては、

 

南アフリカチームがイングランドを

 

破って3度めの優勝を飾りました。

 

 

両チームの好守で

 

なかなか点が入らない

 

しまった試合になりましたが、

 

最後は南アが2トライを決め

 

試合を決定づけました。

 

 

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南アを率いたのは

 

同国で初めての黒人主将である

 

シヤ・コリシ選手。

 

 

これはとても画期的なこと

 

だったんです。

 

 

南アは悪名高き

 

人種隔離政策アパルトヘイトを

 

行っていた国です。

 

 

ですから、

 

20世紀の後半までは

 

黒人と白人の間に極めて

 

厳しい緊張関係がありました。

 

 

実際、1990年代には

 

内戦の一歩手前まで緊張感が

 

高まります。

 

 

そんな中で、

 

難しい舵取りを任されたのが

 

同国初の黒人大統領だった

 

ネルソン・マンデラ氏です。

 

 

南アフリカでは、

 

ラグビーは白人のスポーツとされ、

 

ラグビーの国際時代では、

 

白人は南アのスプリングボックスを

 

黒人は相手国のチームを応援する

 

というようなことが何十年もされて

 

来ました。

 

 

なぜなら、

 

ラグビーは黒人たちにとって

 

アパルトヘイトの象徴だったからです。

 

 

 

しかし、

 

マンデラはラグビーを新しい

 

南アフリカの象徴にしようとした。

 

 

そのために、

 

当時の主将であるフランソワ・ピナールを

 

官邸に呼んで話をしたり、

 

あえて黒人地域でスプリングボックスに

 

ラグビー教室を開くように働きかけたり

 

しました。

 

 

 

結果として、

 

1995年ラグビーワールドカップ・南ア大会で

 

南ア・スプリングボックスは

 

初優勝を遂げます。

 

 

 

その辺の話は、

 

映画「インビクタス」で描かれています^^

 

 

 

1995年のワールドカップで

 

南ア・チームでプレーした

 

黒人選手はチェスター・ウィリアムズ

 

一人だけでしたが、

 

今大会ではコリシ選手が主将を勤め

 

黒人選手も多数プレーしました。

 

 

 

もはや、

 

南アにおいてラグビーは

 

白人のスポーツではなく、

 

国民のスポーツになったのだ。

 

ということを印象づける

 

今回の優勝になったと思います。

 

 

 

 

異なる背景、

 

異なる肌の色、

 

対立した過去、

 

現在も残る貧富の差、

 

人間はそんなものを乗り越えて

 

1つの目標を追い求めるチームに

 

慣れるのだという希望を

 

感じられる今回のラグビーワールドカップでした。

 

 

 

これから日本でも

 

異なる背景、異なる文化、

 

異なる肌の色の人たちが増えていくでしょう。

 

 

 

今大会の日本チームや南アチームのように、

 

今後は異なる背景を持つメンバーを

 

いかにしてまとめ、

 

目標達成に導くのか?が

 

ますます重要になって来るのかもしれません。

 

 

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代表 今野富康