「コスパ優先」で人が不幸になる理由

 
 
 

コスパ優先は人の成長にブレーキをかけてしまう

「コスパ(コストパフォーマンス)を最優先する」というと、一見、合理的な印象を受けますよね。でも「常にコスパを最優先」というのは、実は心理学的に見た時には、意外とロスの大きい、しんどい生き方になってしまうんじゃないかと僕は考えています。

なぜかというと、人が何に、どれだけ価値を感じるかということは、時間や関係性によって、常に変化するものだからです。

「コスパ」というのは、要するに「どれだけの費用や労力をかけたら、どれだけベネフィット(利益)を得られるか」という効率性の判断です。それ自体は、決して間違った考え方とは言えないでしょう。同じ労力をかけるなら、ベネフィットは多いに越したことはありません。

ただ、「ベネフィット」を計量することは、そう簡単ではありません。というのも、その人にとって何が良くて、何が悪いか、という判断は、「その瞬間における、その人の見識」に依存するからです。

私が素晴らしいと感じた音楽でも、別の誰かはまったく関心を持たないかもしれません。あるいは同じ人でも、5歳のときに大好きだったアニメに、20歳のあなたはおそらくさほどの関心を示さないかもしれない。

「将棋で勝つ」とか「一円でも多くお金を増やす」という具合に目的や価値観を決めた上であれば、「コスパ優先」は正しい戦略です。しかし人が生きていく現実の世界では、コスパ優先という戦略は、どうしても無理が出てきてしまう。それは突き詰めれば、人間は成長するし、成長に伴って価値観が大きく変化するからです。

 

 

狩猟採集民のように

私たちの心の中では常に、「今の自分の価値観を守りたい」と、「今の自分の価値観を壊して、新しい価値観を取り入れたい」という、2つの異なるベクトルが拮抗しています。それはあえてたとえるならば、「農耕民的な安定」を求める心と、「狩猟採集民的な新しい価値観との出会い」を求める心との葛藤です。

各地を転々としながら狩猟採集生活を送っていた1万年前の私たちの祖先の生活を思い浮かべてください。彼らにとって、目の前の新しい出来事に対応していくことは日常であったはずです。「食べたことのある食べ物しか口にしない」「歩いたことのある場所にしか足を踏み入れない」という臆病で保守的な狩猟採集民は、おそらく生き残ることができなかったでしょう。

一方、農耕を始めてからの人類は、「去年と同じ平穏な一年」を望むようになりました。農耕民は、「数か月後にはこれだけ収穫できる」という予測や見通しが覆されることを無意識のうちに嫌います。

もちろん、安定した生活をもたらしたという意味で、農耕が人類にもたらした恩恵は絶大です。しかし、「今の自分の価値観への執着心」は、農耕が人類にもたらした、心理学的な「負の遺産」と言えるものだと僕は思います。

なぜなら、世界の本質は「変化」にあるからです。「明日、1万年に1度の超巨大地震が地球を襲うかもしれない」というのが、私たちの生きる世界の現実です。たかだか数十年程度の経験のなかで培われた価値観や判断にすべてを委ねる「コスパ優先」の考え方というのは、実は非常にハイリスクな生き方なのです。

農耕民的執着を捨て、狩猟採集民のように、新しい出会いに感覚を開いてみてください。きっと、物事の見え方は大きく変わってくるはずです。