そりゃ「トイレで尻を洗いたくなる」ワケだ…

"便の性質が違う"日本をウォシュレット超大国に

 
■日本人の「清潔の常識」を変えた一言  
 
 
気づかせるデザインの代表的な例が、1982年(昭和57年)のTOTOの広告コピーです。コピーライターの仲畑貴志さんによる名作――「おしりだって、洗ってほしい。」は、当時、温水洗浄便座という言葉すら知られていなかった時代に、この一行が日本人の“清潔の常識”を変えました。  仲畑さんは、最初この製品の良さがわからず困っていたそうです。そこで、TOTOの若い技術者が青い絵の具を手に塗って、「紙で拭いてみてください」と言いました。何度拭いても、絵の具は完全には落ちません。「お尻も同じです。水で洗えば清潔になります。これは常識への挑戦なんです」と説明されて、仲畑さんは「なるほど!」と膝を打ったそうです。そして生まれたのが、このコピー。わずか十数文字の言葉が、人の行動を根本から変えたのです。  しかし、ウォシュレットがこれほどまでに日本に根づいた背景には、単なる広告の力を超えた、文化的な必然がありました。 ■水の性質、住宅構造、便の性質…  まず、水。日本の水は「軟水」です。一方、ヨーロッパやアメリカなどは「硬水」が多く、石灰分が豊富。この石灰がウォシュレットのノズルや内部に蓄積し、詰まりや故障の原因になります。つまり、水の性質が違うだけで、同じ製品が「使える国」と「使いにくい国」に分かれてしまうのです。  さらに住宅の構造も異なります。日本ではトイレと浴室が別の空間ですが、欧米では「ユニットバス」が主流。特にイギリスでは安全基準により、浴室内への電気配線そのものが禁止されています。したがって、「トイレに電源をつける」という発想自体が存在しない。ウォシュレットのような製品が文化的にも構造的にも根づきにくい環境なのです。  そしてもう一つ、大きな理由があります。腸内細菌研究の第一人者であった、光岡知足・東京大学名誉教授によると、日本人と欧米人では“便の性質”が異なるそうです。日本人は米や野菜を中心に食物繊維を多く摂るため、便がやわらかく粘り気がある。一方、肉食中心の欧米人の便は固く、コロコロしている。だから、紙で拭くだけで済んでしまう。つまり、「水で洗う」ことの必要性を感じにくいのです。
 
 
 
 
 
 
 
■世界のトップアーティストにも評価された 
 
 この生理的な違いこそ、ウォシュレットが日本で成功した決定的な要因の一つだと思います。技術も、デザインも、そして体の構造までもが“文化的に一致”していた。センスとは、技術が文化と自然に交わる瞬間に生まれるものなのです。  日本には古来、“水で清める”という文化があります。神社で手を洗い、口をすすぎ、「穢れを落として心を整える」――。水は単なる物質ではなく、心を整える象徴でした。  だからこそ、「おしりだって、洗ってほしい。」というメッセージは、日本人の感性にすっと馴染んだのかもしれません。  こうして誕生したウォシュレットは、単なる便利な機械ではなく、文化のセンスを具現化したデザインでした。その証拠に、2005年に来日したマドンナは、「ウォシュレットに会いに来たのよ」とコメントしています。世界のトップアーティストが、日本のトイレ文化を“体験すべき価値”として語ったのです。  欧米では「お風呂とトイレは別」ではなく「同じ」。電源がない、硬水でノズルが詰まる――そうした条件を超えてもなお、マドンナのような人が魅力を感じるほどに、日本のウォシュレットは“文化を動かすセンス”をまとっていたのです。 ■センスとは「動かす力」である  センスとは、派手なデザインのことではありません。それは人の行動を変える小さなきっかけを作る力です。ドイツのトイレにあったピクトグラムが人の想像を動かすように、TOTOのコピーが常識を変えるように、ウォシュレットは清潔の概念を変え、マドンナの発言が世界の意識を変えました。  つまり、センスとは“動かす力”です。人の心を、行動を、そして文化を少しだけ動かす。その半歩の変化を生み出せる人こそが、本当の意味でセンスのある人なのだと思います。  センスとは、単に美的な感覚や言葉の巧みさだけではない。人の行動や判断の“わずかな選択”にこそ、最も深いセンスが宿ることがある。それは、相手の心理を読み、状況を設計する力――つまり、「見せ方」「見せない方」のデザインである。