ネムリノソコ -27ページ目

ネムリノソコ

おたいらに

Facebookを通じて、なつかしい友だちから連絡があった。

気持ちがほっこりした。元気そうでなにより。

ずっと気にかけていた友だち。

もしかしたら、もう会うこともないかもしれないけど、

ちょっとなり、つながっていられるのは嬉しいこと。

Facebookスゲー。

株価低迷とか言われてるけど、

できれば潰れないでいてほしい。
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次の公演についての打ち合わせを駆け足で済ませました!
と、言っても満月の公演じゃないんですが、まだ情報オープンのGo!をもらってないので、オープンになったらスグお知らせいたします。

プライベートがバタバタで、なかなか公演するようにならないんだけど、かえってゆっくり想を練る機会にもなってる気がする。

まぁ、毎月のように本番を迎えてた時期もあるので(結構、最近だし)このような時期も有意義と思う。
何年か前にも、一時期、公演頻度を落としたことがあったけど、(後々考えて)あれは悪くなかった。むしろ良かった。
ヒマにしてる訳じゃないけど、多分、最後の充電期間。

今、仕事じゃ広報・宣伝という分野に関わらせてもらっていて、非常にためになる。
なにせ『伝える』のが仕事。そりゃためになる。
いや、難しいッスわ。『伝える』の。←今さら。

逆に芝居の経験も仕事に大・小、様々に活きている。
企画書なんか公演のたびに書いてきたし、イベントでPAが必要なら自分で出来るし、進行台本も書けるし、タイムテーブルも書けるし、進行を仕切れる。チラシの校正も毎公演のこと。いつも本番に追われて納期意識も高い(守れてるかどうかは別として)。危険がいっぱいの劇場育ちで安全意識も身についてる。

芝居も仕事も、今、一緒にボクの人生のすべての経験が活きている。

結果、いそがしひ(ToT)/~

でも、そんな時もあっていい。

すっかり放置プレイでしたが、 みなさまいかがお過ごしでしょうか?

たぶん元気だったり幸せだったりしてくださっているものと、

およろこび申し上げます。


さてさて最近ですが、諸状況もありまして、かなりインプットな時期を

すごしております。


いろいろなことが自分の中に入ってきて、新しいコトに取り組ませて

いただく機会もたくさんいただいておりまして、

それはそれで、幸せなんだろうと貪欲にインプットなう、です。


アウトプット(=公演)は、来年になりそうです。

企画ものが1本、秋に入ってきそうですが。


が、どうにもこうにも、最近思うのが、

どうにもこうにも「結論ありき」の進行が多すぎないかと、

いうことです。


私も生業は会社員ですので「売上を上げる」という結論は

結論ありきで進んで当たり前と思うのですが、

(結論でなくて目的ですねこれは)

たとえば、どうしようもない商品Aがあったとして、

「Aで売上を上げる」というのを結論にして進行するのは

違うんじゃないか、ということです。


売れるものを売らなきゃ。


いや、今、会社でそういう目に遭ってるという話でなくて、

今の会社ではそんなことはなくて(「今まで」の会社ではありましたが)、

話は原発です。


会社が「売上を上げる」という目的を持った意思体だとすると、

国は「安全を守る」という目的を持った意思体なんじゃないでしょうか。

極論ですが「安全を守る、ために豊かになる」というくらいの

論理で動いてもいい。


再稼働に関しては、移行期として考えることがあってもいいかもしれません、

(それにしても、いったん動かしたらそれこそ「結論ありき」で止めることが

できないんじゃないかという疑念はぬぐえません)

どうしてもぬぐえないのは、今、福島に人は住んでいて大丈夫なのか、

ということです。


やっぱり、許容被ばく量の話は、何回聞いても読んでも理解できない。

「安全である」という結論ありきの姿しか見えてこない。

今まさに、大罪を犯しているんじゃないかと思う。


バブル後の一時期、いわゆる空白の10年に「閉塞感」が

キーワードとして語られてきた時期があったと思うけど、

今の「閉塞感」は、「閉塞感」という言葉だけでは語りつくせないモノがある。


なんやねん、これは!

父が亡くなって、まもなく一年が来る。

考えてみれば、なにもかも価値観の真逆な親子だった。

父は『福田赳夫的なモノ』にシンパシーを感じていたが、ボクは『田中角栄的なモノ』にシンパシーを感じている。
それは諸々、小泉・小沢にまで響いてくる。

このことを父に指摘すると「そんな話ができるようになるとは」的な反応を返され、(ボクから見て)従兄弟とこの手の話題が広がらないと嘆く叔父に『聞かせてやりたいわい』(伊予弁)、と煙に巻かれてしまったが、
彼ら二人と同時代性の中に生きた父の生の声が聞きたくて食い下がると、
建設関連業を経営する父は『まぁ、(田中角栄には)反発があらいの』(伊予弁)と、照れくさそうに、しかし苦々しげにポツリと言った。
同時代性の中からしか出ない表情だと思った。

ボクは福田赳夫自身はこれがまたスタイリッシュで画になってカッコ良いので好きなのだけど、
政治家としては好きでない。

ボクと父は『違い』というよりも『隔たり』を相互に認めあい、適切な距離感をつかむのに長い時間を要した。

近くにいたら、もっと不幸な結末を迎えたであろうことは間違いない。
近くに長くいれば、お互い戦わざるを得なくなり傷つけあうしかなかったろうし、離れていればお互い求め合う、という関係にあった。

少々の寂しさと引き換えに、求め合い続けることで落ち着いたのだと思う。

たまの出会いだからこそ(帰省とか)、『違い』を楽しめ、一緒にいる時間を楽しめた。

なによりの違いはボクが同族会社、全否定であるということだと、亡くなってから気がついた。
跡を継ぐために帰った従兄弟もいる中で、なかなか言いにくいことだけど、彼らを否定してる訳じゃない。
葬式のあと、相続手続きのために父の会社に行ったら、出てくる人、出てくる人みんな昨日、葬式で会ってた人たち(親戚)というシチュエーションに心底『ムリ』と思ってしまった。

いや、ムリですわ。ボクには。これは心底、違う世界に生きてたんだと痛感させられました。

親不孝は、そりゃあいっぱいいっぱいしましたが、『遠くに住んだ』という親孝行もしたんだ、と思いました。
近くにいたら、完全なる決裂か、深刻な破綻を迎えていたと思います。

ただ、父もボクに跡は継がせたくなかったようで、まだ価値観の定まらない高校生のころに『父のような仕事をするにはどうすれば(どんな勉強をすれば)よいか』と聞いたことがあって、その答えは忘れてしまったのだけど、その後に『あんまりやらせたくはないけどの。大変やけんの』(伊予弁)とポツリと言っていたのをよく覚えています。

ボクの細い神経では、経営者はムリだと喝破していたのかもしれませんが。
お父さん、それ当たりです。

なにせ実の父のことなので、語り出せばキリはないのだけど、まもなく一周忌を迎える訳で、長男の当代としては先々の祭祀も考えていかなくてはいけません。
なにがあっても無縁墓をつくりたくはないし。

ボクの人生にこれ以上、廃墟はいらんわ。(ボクの人生に関わる4つの廃墟の話を前に書きました)

という訳で大阪にお墓を買ったのだけど、最終的にはボクもそこに入る訳で、よく考えたらこれ以上なく近くに永住してしまうことになってしまったのだけど、仲良くできるのかしらん?

アチラでは、お互い好きな政治談義だけして暮らすことにしよう。
『ツキノウタ』終わりました。

約1年ぶりの本公演でした。こんなにあいたのは久しぶりです。
つくづく自分の『根』がここにあるのだということを再確認させられました。
やっぱ、小屋の空気・時間はいいわ。

昨年はなにかしら個人的に大事件の多い年でしたが、トピックをひとつ挙げよと言われると、『父の死』であったり『震災』であったり『原発』であったりすべきなのだと思いますが、実は『仕事が楽しい』年であったことが一番のトピックでした。

最近よく仕事と芝居の『両立』は大変ですねというようなことを言われるのですが、実はこれにとても違和感がありまして、仕事も芝居もボクの人生に欠かせない『楽しいこと』で、本人的には『両立』という言葉には違和感があります。

そもそも楽しくないことはやらない、わがままな性分です。この『やらない』は割と徹底されてます。自分でも呆れちゃうくらい。

いわゆる「本公演」規模でやる公演で、満月動物園のスタッフさんの数は、関西の小劇場でも群を抜いて少ないと思います。
プロデューサー・映像監督の相内さん、舞台監督の今井さん、制作の桝田さん、それにボク。
それぞれの分野でプロフェッショナルで、また満月動物園のことも知り抜いている素晴らしいスタッフさんたちが満月動物園作品を作り上げていきます。

満月動物園を始めたのはボクで、続けてきたのもボクで、満月動物園とはボクである、と断言もしますが、また一面、もはや満月動物園はボクだけのものでもなくなりました。

たくさんの表現者(もちろんスタッフさんも表現者です)が、満月動物園というフィールドに集ってくださいます。
ボクは果報者です。

今井さんとも相内さんとも桝田さんとも10年以上の付き合いになりました。
今回の公演は、一緒に成長できていることが確認できた公演でもありました。

約9年ぶりに一緒にやれた小澤さん(himeさん)との仕事は、自分のベクトル(方向と量)を認識する機会になりました。
やはり演劇表現の根本は演技にあり、演技について考え続けないといけません。

『演じるとはなにか』

このことを考え続けていくことを、続けたいと思います。
もって回った言い方ですが。

正直すぎるかもしれませんが、ボクはあんまり脚本の内容に興味がありません。
もちろん書いてるときは面白いもの、いいものを書こうとしてますが、書き終わったらすぐに『どんなつもりで書いたか』を忘れてしまいます。
結局、舞台は俳優のモノで脚本家が伝えたかったことにあまり意味はないと思います。
『人を描く』表現者であり専門家である俳優との対話が演出の仕事のほとんどすべてだと考えて作品を作っています。
脚本家、脚本の思惑を超えていい舞台に仕上げたいと思っています。

そんな自分の出発点というか、原風景というか、そんなモノの手触りをほんの少し感じた公演でした。
若い頃にはぼんやりとした自分でも制御できない思いだったものの正体に指先が触れた、というような感覚が残ります。

まだまだ頑張らないといけません。

あー、楽しかった!

きっと明日からの仕事もまた楽しいぞ!

最後になりますが、ご来場くださった皆さま、本当にありがとうございました。
次も頑張ります。ありがとうございました。