3月6日に親父が亡くなりまして、ブログもとんとご無沙汰でした。
書くことも、書けるようなこともなくて、でもまあ節目をつけようとも思うのでなんとなく再開します。
世の中に親を亡くした方なんてごまんといらっしゃる訳で、ことさら不幸だという訳なんかないのですが、当事者となるとまた感じることも違いました。
亡くなって1ヶ月後に『ヤミウルワシ』の本番が控えてまして、亡くなった当日にはまだ台本が1ページもなくて、よくまあやり切ったものだな、と。
しかもその間にあの地震です。
心が千々に乱れるとはあのことで、執筆にまったく集中できなくて、集中しようと思うと自分の真情だけを書き連ねるしかなくて、あんな脚本に仕上がりました。
さすがに演出してて集中できないことはなかったんですが、それも含めて、
まあ、確実に一生に一回しかできない体験をしました。父親が一人しかいないという意味でも。
おかげさまで毀誉褒貶はあれども、概ね好評をいただきまして、『ヤミウルワシ』は忘れられない作品になりました。
【集中】ということに対して、とてもよく考えました。
単に自分で後で振り返るための心境の記録として残すだけですが、
葬儀当日のツイッターでのつぶやき。
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@fmz20: ここのところ、『葬儀』について色々、議論を深
めてきたはずなのに、いざ当事者になると、なにを話して
きたかまったく思い出せない。ただただ、父のためにとい
う思い一色。ま、そんなものかと。
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悲しくて辛かったけどまた次のなにかを生み出す糧にしてこそ、ボクなりの供養ではないかと。
やれ相続やら、お墓やら『やること』てんこ盛りで、そんなもろもろ色々ありましたが、まだ続いてますが、ひとつひとつを糧にできるように生きていきたいなぁ、思うとる訳です。
写真は親父が旅立った斎場の空です。
これがまた抜けるようなええ空だったんですわ。
ぼちぼち本公演のことも考え始めました。