昔々、高校を受験するころのこと、
塾の模試でA判定で喜んでいると塾の先生と親の面談で、父親が先生から「落ちます」と言われて帰ってきた。
父親は「じゃあこのA判定とはなんだ」と、喰ってかかったらしいのだが、先生が言うには、
「点数は足りてるが、中身が問題。
難しい応用問題は出来てるが、基本問題が出来てない。
息子さんの志望校ではそんな難しい応用問題は出ない。」
ということで、親もなんとなく納得して帰ってきた。
この話は、ボクの人生の色んな場面で思い出してきた。
つまり、ボクは必ず応用から入る。
基本をコツコツ積み上げたりしない。
基本がないせいで、色んなこと、色んな場面で苦労してきた。
だけど基本から手を着けることはまずない。
応用から始めて、困ったら基本を調べる。それも必要なところだけ。
そんなボクの得意技は「とりあえず、やってみる」だ。
とりあえずやってみたことが積み重なって、器用貧乏な感じ全開だ。
「最小基本、最大効果」が信条、と言うよりは、完全にただのクセだ。
ズボラと言おうか。
なので英語とか語学は点でだめだ。
単語とか構文とか、大量の基本に対して、効果が少なすぎて、やる気が起きない。
事実、英語の単位が足らなくて、大学をクビになった。
その点、数学なんかはボク向きで、一つの公式で対応できる問題が多い。
いくつもの問題が解決出来るなら、覚える気も起きる。
高校の数学の公式も3分の2くらいしか覚えなかった。
公式を導き出すための公式(公式のもとになる公式)で間に合わせてしまうので、覚える気が起きなかった。
つまり手を抜いた。
最小基本の最大効果だ。
ただ実際、そういうのは覚える気が起きないだけでなく、覚えようとしても覚えられなかった。
ただ「応用(実用)→基本」の流れは一応あり、何事もいつかは基本に至るのだろうと、自分を慰めている。
こんな話を改めて考えるのも、今年で満月動物園が結成10年だからだ。
ボクの人生でこんなに長くやったことは他にない。
そろそろ「基本」に到達できるのだろうか?
そんなことを、ぼんやり考えながら十六夜の想を練っている。