『件のブログ』の件 | ネムリノソコ

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INDEPENDENTでの『件のブログ』について、方々で言及され始めているので「当事者」として意見を表明すべきと考え始めたので、少しばかり。

『件のブログ』とは柿食う客の玉置さんが自身のブログで「関西の芝居」に対して批判している件です。

『件のブログ』を読んで最初に思ったことは、彼の主戦場は舞台上にはないのだなぁということ。
僕の主戦場は舞台上にあり、それがすべてなので、そもそも違う戦場に立っている人にかける言葉はない。
なので正直、腹は立たなかった。
大雑把な「関西」という言葉で全てを分かったような論理を展開できる感受性、あるいは可能性に対する鈍感さは表現者の持ち得るものではないのではないか。
では彼がなんなのかと考えたときに、ただあの文面からだけ推し量るに、彼は競技者なのだろうと思った。
とても残念なことに、僕は彼の舞台を観ていない。なので彼の舞台に対して発言する気も発言権ももちろんない。
しかし、伝え聞くところによると評判はとてもいい。
周りは全て表現者であったので、1人競技者が混じると異彩を放つのは当たり前だ。むしろ新しいかもしれない。
学校の授業で言うと体育と美術みたいなもので「魂のこもった走り」と「魂のこもった筆使い」の間の断絶のような途方もない距離感だけを感じたのだ。
同じ地平に立っていない。彼の地平が格別上等とも、僕の地平が格別上等とも思わない。
ただ主戦場が違う。彼の主戦場は舞台上にはない。したがって「生意気な」彼を見返す方法さえない。
「負けられない」表現者は沢山いる。表現者でない人と張り合うほど暇じゃない。
そういう訳で、正直、腹は立っていない。

ただし、あのブログを読んだ「関西」を知らないお客さんに対するダメージは、かなり大きいと思う。
「同業者」として、「なにしてくれんねん」とは思う。
だけど、このダメージは良い作品を提供し続けることでしか回復しないのだろうと思う。
そして「関西」は軽く乗り越えると思う。
結局、表現者の戦場は舞台上にしかない。


ひとつ引っかかることがある。
INDEPENDENTの公式ブログで相内さんが、「一人芝居の限界」と言ったお客さんに賛同する面があるかのような文章を載せていることだ。
一人芝居は表現だ。
表現に限界はない。

表現者はそのことを知っている。

表現に限界はない。

限界があるのは「環境」だ。
予算とか時間とか。

先日も二人で飲んだところだし(しかもおごってもらった!)、いつもお世話になっているし、僕の作品になくてはならない人だが、
「一人芝居の限界」なんて戯言に耳を貸すなよ、と思ったので、INDEPENDENTつながりでここで言及しておく。

表現に限界はないぞ!