ボクの星回りのせいか、
世間一般そうなのか、
よく分からないけど、
ボクの回りでは、似たような出来事が、
必ずあちこちで起こる。
『幸せ』が起きた知り合いが1人いると、
必ず、2人、3人、4人…と、
似たような『幸せ』の起こる知り合いが、
でてくる。
この場合、知り合い同士は、
ボクの知り合いである、ということ以上の
関係はなくて、年齢・性別・職種などの
共通項もないことが多い。
『幸せ』連鎖のときは嬉しいが、
『不幸せ』連鎖のときはかなしい。
最近、知り合いの知り合いに
『不幸せ』が続いていてかなしい。
知り合いの知り合いのことになると、
ホントにボクがなにかしてあげられることもない。
もっとも、それが知り合いの出来事でも、
ボクに出来ることなんか知れてるんだけど。
前回の作品『蝕卓讃歌』の主人公、
航海(わたる)と優子の母娘の出来事のように、
『出来事』は、いつも遠い。
生・老・病・死は常に自分の問題であり、
他人の問題でもあるので、
「共通の問題」ではあるが、
「共有の問題」ではない。
結局、各人それぞれの問題だ。
ボクの「身近の遠いところ」で多発する
『不幸せ』に、改めてそんな思いを抱いた。
優子のセリフに乗っ取って言うなら、
ボクはボクの舞台に上がれているだろうか?
がんばれ―、
「がんばらないということをがんばる」
ということも含意しつつ、
がんばれ、という言葉しか浮かんでこない。
ところで、「遠い出来事」を近くするのが、
演劇の役割ではないのか、
という問いに対しては、
「遠いということ」を近くに感じさせたかった、
というので、返答になっているだろうか。
結局、どれだけ考えても、
「共有」することはできない、
というところから出発したら、
あんな舞台ができあがった。
鏡の中の自分が、他人のように
感じられて仕方なかった、
思春期の頃のボクが観たら、
なんと言っただろう?
「鏡が信じられるのか?」
だろうか?
と、思いを馳せつつ、
次回本公演、8月の公演では、
「遠い」ことを、「近く」させる、
『ドラマ』を書きたいなぁ、
なんてことを、ぼんやり考えております。
『ドラマ』の王道はやっぱり「恋愛」よねっ、
なんて感じで安易に着想をスタートさせてるのですが、
はたして恋バナなんか書けるのか?
うーん、ビミョウ。