『サト』に帰っている。
と言っても、もう実家はなくて、
いや、あるんだけども、誰も住んでなくて、
ツマと二人でホテル暮らし。
妹が家を出てから、父と母が、
『二人じゃ広すぎる』と思ったのか、
『エンジョイ2人暮らし』と思ったのか、
実家をそのままにして、
マンションに「家出」してしまい、
『実家はあるんだけども、ない』
という奇妙な状態になってしまった。
それでも、まあ、『ある』訳なのだけど、
やはり人の住んでない家は痛むもので、
(初めて実感した)
すっかり贅沢な倉庫状態だ。
土蔵状態と言ってもいい。
余談だけど、ボクの『片付けられないエリート』
っぷりを説明するのに、
「すっかり乱雑になった家を掃除するのがイヤで
部屋を増築した叔父さんがいる」
という話を良く持ち出していたんだけど、
父母が『家出』したのも、
その類いの話なのかもしれない。
なにせ家財道具一式そのままに置いたままなので、
『引っ越し』ではなくて『家出』だ。
それでは『サト』とはなにかと言えば、
それは父母ということになる。
もはやボクにとっては、
『サト』は場所の概念ではなくて、
人の概念になってしまった。
帰ろうと思えば帰れる『実家』は、
もはや意味をなさないものになりつつあり、
ボクの記憶と思いは、実にゆるやかに、
弔われ続けている。
ようやく、父母のいるところこそが、
ボクの『サト』である、ということを
自分が受け入れ始めていることに
気がついた、そんな年越し。
したがって、ボクの『サト』は、
いつか、今ではないいつか確実に消滅する。
けれどもそれは、今ではない。
『サト』には長生きして欲しいものだ。