エスキースとして、書き残しておこう | ネムリノソコ

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おたいらに

舞台衣装のファッション・ショー

インディペンデント・プロデュース「Body & Clothes」について

ようやく感想らしきものをまとめようという気になったので、

少々長くなると思うが書き残しておきたい。


(「Body & Clothes」オフィシャル・サイト↓)

http://west-power.co.jp/theatre/proex01.htm


まずなにより「前例がない」ことをやり遂げた、皆さんに拍手。


「前例がない」ところから、同じものを眺めたときと、

前例が出来たあと、では、おのずから語る内容も

変わるものであるはずであるし、

今、僕が立つ地点から語りうるものを考えたとき、

それはイチ演出家としての、エスキースでしかないの

ではないか、という考えに達し、

今の時点の思索の過程を書き留めておく、という

ことで、Body & Clothesについて語るという行為が、

初めて意味のある行為足りうるのではないだろうか。


前置きが長くなってしまったが、

結局、具象化された皆さんも、それを目撃した人たちも

やってみて、わかったことが多分にあるのではないか。

次はもっと上手くやるのに、あるいは、次はこうやりたい、

という何らかの思いを持っているはずであろうという

ことで、それは、本来、今回のショーがゼロから作られた

ということを欠落させた議論になってしまうという

ことを避けんがための逃げ道として用意しておいた。


そこで、エスキースとして、私が演出を請け負ったならば

という論を展開することで、「Body & Clothes」の記憶を

より、自分の中に深く記憶しておきたいと思う。


通常のファッション・ショーが「服を買ってもらう」ことを

目的とすることと比したとき、舞台衣装ファッション・ショーの

目的として設定可能と思われることは、「次の演劇公演を見て

もらう」、ひいては「次の公演のチケットを買ってもらう」

ということに収斂していくのではないだろうか。

縫製の技術の確からしさや、造形美を誇示するための

ものではないことは、明らかだ。


また、もう一つ、衣装家のカンパニー、あるいは演出家に

対する営業。という目的には容易に行き着くが、これは、

何故、公開に、それもチケットを販売して、という問題に

ぶつかる。


では何が「次の公演のチケットを買ってもらう」という行動に

対してのモチベーション足りうるのか。

それについて、「舞台」衣装の持つ力を明示することではないか、

という仮説を立てた。

では、「舞台」衣装の持つ力とは何かというと、それは、

俳優を「役=別人」に変化させる力ではないかと思う。


俳優を別人に変えるという、ある種、魔法の力をはっきりと

示すためには、同じ俳優に、何着もの衣装を着せる、

という作業が必要なのではないだろうか。

より明確に示すためには、架説としての「素」に相当する

ものとして、着替えという作業そのものがあれば

なお良い、と思う。


ここで、やや寄り道気味ではあるが、別人になるという

作業は、これはすなわち演技そのものである。

俳優が衣装を着ける過程が別人になり行く過程で

あるなら、それは演技を開始する、その過程である

という言い換えが可能だろう。


何着もの衣装に、次々に着替え、次々に別人格を

現出してみせる。

この言い回しの、前半部分「何着もの衣装に、

次々に着替え、」を除き「次々に別人格を

現出してみせる」という言い回しのみにしたならば、

これは、まさしく演技そのものである。


すなわち、別人格を現出させる魔法であるという

ところに、衣装が「舞台」衣装たりうる要件が

あると思う。


また逆説的には、同じ衣装を何人もの俳優が

身につけ、これまた別の人格を生み出すという

可能性も考えられなくはない。


照明や音や、美術がそうであるように、衣装

もまた、それだけでは何も生み出さない。

俳優、そして演技に寄与、関与して初めて

「舞台」衣装であり、「舞台」照明である。


繰り返しになるが、ゼロ地平から、こういう論を

展開していたかはまったく分からない。

今の時点からの論の展開である。

ただ、今回のファッション・ショーに関して、

パフォーマンス自体の印象が衣装に対する

印象を決めているのも、また事実である。

それ自体は、良くも悪くもない。

極めて当然のことだからだ。


「私が演出を請け負ったなら」、

「衣装」を「舞台衣装」に昇華させることを

より明確な作業として浮き上がらせることを

目的として、

俳優と衣装との関係性をより浮き彫りに

するために、俳優に何着も着せ、

また、同じ衣装を何人もの俳優に

着せる。

たとえば、短い2人芝居を衣装だけ

交換して、もう一度やる、というような

感じに。


上記は、あくまで「私が演出を請け負ったなら」、

という仮定にもとづいた、エスキースである、

ということを、最後にもう一度念押ししておきたい。

今回のファッション・ショー自体をゼロから作り上げた

方々の想いや努力を想像するにつけ、頭の下がる

想いである。

そして、僕は客としては、充分に楽しめた。

体調が芳しくなくて、ビールを飲みながら

観ることが出来なかったのが、心残りといえば、

心残り。じゃむねん。