朝三暮四に思ふ | うらやすラジオ・FMうららです!

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本日、こんなニュースが有りました。


朝三暮四は「すぐ変わること」? =鳩山首相、朝令暮改と勘違い


私が擁護するのも変ですが、漢字の読めない前首相に比べたら、この程度の「勘違い」は、かわいらしいものだと思います。


この種の問題に、やたら詳しい人が偉いなら、国語の先生に政治家になってもらえば良さそうなものです。


余談ですが、先生といえば、楽典に詳しくて、しかもピアノが弾ける音楽の先生なら、みんなすごい作曲家になれそうなものですが、そうは行かないから先生どまりなんでしょうね…。


さて、今日の本題、四字熟語についてですが、日常生活で良く使うのは、お馴染みの「焼肉定食」ぐらいで、そんなに普段(放送でも)使う機会は無いような気がしますが、ここぞというところで使えば、極めて効果を発揮するものなんですよね。


但し、これは相手もその言葉に対する正確な知識を持ち合わせていたらの話であり、そうでないと単なる「?」で終わってしまいますから注意が必要です。


そこで、鳩山首相も思わず勘違いしたこの機会(?)に、ぜひとも覚えておいてもらいたいのが、この「朝三暮四」という言葉なのです。


私は、日本社会のインチキやデタラメを解明する上で、この言葉の持つ意味を理解しておくことは、極めて重要であると確信しています。


この言葉は、先程のリンク先にも解説してありますが、

昔、宋の国に猿を飼う人がおり、生活が苦しくなったので、飼っていた猿に、これからは木の実を「朝に三つ、暮れに四つ与える」と告げたところ、猿は不満を示し怒り出した。そこで飼い主が、では「朝に四つ、暮れに三つではどうか」と言い換えたところ、猿は喜んで受け入れたという故事に由来します。

 

つまり、相手が「猿知恵」しか持ち合わさないのを良いことに、中身は同じなのに、巧みに変化があったようにごまかすことを意味するわけですね。


では次に、この言葉がぴったりな事例を示してみましょう。


もう四半世紀も昔の話なので、具体名を出しても良いでしょう。

(当時の教師達も、今ではほとんど鬼籍に入っているでしょうからね…でもないか…。)


1985年、入船中学から分離して、美浜中学が開校しました。

新しい美浜中学の校則では、はじめから「冬場にマフラーをすること」が認められていました。


ところが、入船中では、当時まだ「マフラーは禁止」のままだったのです。


入船中の生徒達は、当然「自分達にもマフラーの使用を認めて欲しい」と学校側に求めました。生徒会の中央委員会で審議し、正式に学校側に求めたわけです。


おりしも、世間からの批判の高まりを受けて、当時の文部省が、ついに「細かすぎる校則の見直しを行うよう」通達を出したのもこの時期でした。


そして、学校側の出した結論はというと、
マフラーは「健康上の理由が有る場合に、許可を受ければ」しても良い、というものでした。


これを聞いて、「一定の改善がなされた」なんて思う人は、まさにサル程度の知能しかないというしかありませんね。


これこそ、「朝三暮四」そのものです!


これでは、特に風邪をひいている等の「健康上の理由」が無い限り、引き続き「マフラー禁止」であることに何の変わりもありません。


そして、「健康上の理由」が有っても、いちいち(形式的なものであっても)許可を受けなければならないとは、呆れて物も言えません。


もともと入船中の校則には、「健康上の理由がある場合には異装届を認める」という条項がありましたので、これは単に「その中にマフラーも含めてやる」と言っているにすぎませんし、そもそもそれまでは、どんなに健康上の理由が有っても、許可申請しても、絶対に「マフラーはさせない方針だった」というのもおかしな話です。


このようにして、当時の教師達は、何の合理性も無いデタラメ規則を作った責任は棚上げし、生徒達からの極めて正当な要望を踏みにじり、表向きには「規則の見直しもしてますよ」という顔をしていたわけです。


さて、せっかく正しい手続きを踏んで学校側に改善を求めたのに、このように人を喰った「朝三暮四」でゴマ化された生徒達は、いったいどう思ったことでしょう。


「どうせ何を言っても、やってもムダなだけ」という失望感を、いやというほど味わったことでしょう。


そしてもう真面目に考えて行動するなんて「馬鹿馬鹿しい」と、心の底から思うようになったことでしょう。


大人になってからも、あほらしくて、とても選挙なんか行く気にもならなかったかも知れませんね。


このような「体験学習」を通して、その精神を「家畜化」し、徹底的に「愚民化」すること。


これこそ当時の管理教育が、「究極の目標」としたものであることを忘れてはなりません。


単に規則が「厳しい」とか「ゆるい」とか、そんなことは表面的な問題に過ぎません。


「三つ子の魂、百まで」と言いますが、「15歳の魂だって、百まで」なのです。


今回は、あえて地元の学校の具体例を示しましたが、同じようなことは、当時全国各地の学校現場で起きていたでしょう。


今日の様々な社会問題を考えるとき、当時のインチキ管理教育が、直接・間接の原因となり、大きな影を落としている点を見逃してはならないと思います。