きんつう相談室 〜線維筋痛症、慢性疼痛、疲労に悩む方へ〜

きんつう相談室 〜線維筋痛症、慢性疼痛、疲労に悩む方へ〜

線維筋痛症や慢性疼痛の皆様へ。
少しでもヒントになればと思い情報発信して行きます。悩みを相談できるところがあれば安心です。お気軽にご相談ください。代替テキストも6月から付けていますので、読み上げ機能などお試しください。

イメージ写真。わずかに薄曇りの空の下、ピンクのコスモスが群れて咲いている。

 

 

慢性疼痛や線維筋痛症の患者さんは、ともすると「異常はない」「気のせいではないか」と言われることが多い。そのため医師にも周囲にも理解されなかったと感じた患者にはとても大きな悩みになってしまう。

理解されるとはどういうことなのだろうか。

 

 

1. 上手く表現できずに諦める場合

 

「理解されること」を切実に望んでいたのに、上手に表現できず、諦めた患者がいる。

患者自身が日常生活の中で、何とか痛みとの折り合いを付けているのだ。

理解されなくても、自分で何とか我慢したり調整したりして、最低限の日常生活なり仕事なりをこなしている。後で寝込むのも承知の上で、自分が我慢すればいいのだからと考えている。それ以外にどうしようもないじゃないか、と。

 

ある程度、痛みがあってもやらなければならないことを少し無理して頑張る、確かにそのようなことがある。

私が気にかかるのは、認識の作り変えまで行われているのではないかという点だ。常にある痛みに対応するために工夫しなければ患者は生きていけない。しかしそのことで疾患をより分かり難くし、治療者にも見えなくする。「沈黙の患者」となってしまうのだ。

 

極度に痛みを無視する、あるいは「感じていない」ことにして封印する。これは心理的痛みの場合にも起こる。自分を守るためには一時的にせよ必要な防衛手段だ。しかしその状態が長引くのはつらいことだ。本当の自分が見つからなくなる。

 

痛みがあることによって受ける社会的不利益のために、患者は、過剰に説明に追われるか、「隠す」患者となってしまう。

 

線維筋痛症は表面的な現象にとらわれない深い人間的アプローチが必要な、極めて人間的な疾患であると思う。

線維筋痛症をいきなり治すことは確かに難しい。どの患者にも痛みのバックグラウンドがあることを理解しなければならない。

 

 

2. 一人になりたい場合

 

患者は「もっと支えてほしい」と訴える反面「一人にしてほしい」「放っておいてほしい」と感じることもある。一対一で家族と向き合うのは重いと感じてしまう。

 

元々患者は、人間関係について敏感な人が多いと感じる。あるいは「空気を読めない」と言われ続けて人間関係に自信が持てずおびえてしまう例もある。もし、家族関係でこのような圧迫感を感じている患者なら、一対一で向き合うのは良い方法とは思えない。

 

医師に対しても圧迫感を感じる患者は多い。威張っているというのはもちろん論外だが、ここで話したいのは「自分が良くなるかどうかはこの医師にかかっている」と思っている患者のことだ。

医師とは患者にとって、そもそも圧迫になりやすい。薬を処方されたら「絶対に飲まなければだめだ」と思うし、検査結果が悪ければ「怒られる」と患者は思う。

だから極力このような圧迫感のある患者医師関係を作らないようにする。

 

そして患者の側も、医師に対する圧迫感や壁を取り除くためできることがある。

 

 

3. 医師と患者の関係

 

患者は実存として生きており、当然医師も実存であるから、診察室で薬だけ出すというのではない。理想を言えば、医師自身が薬である。(話せて気持ちが楽になった、やさしい感じで安心できた、等)。

 

患者は「お医者さん」の言葉に一喜一憂し、あるいはその態度に見捨てられたと思うこともある。「お医者さんを怒らせちゃうから、薬が効いてないなんて言えない。」

反対に、全身全霊から伝わる患者を救おうという気持ちが患者を動かすこともある。

医師は患者の症状を診るのが当然だが、ほんの少し、患者を人間として、「痛む人生になってしまったのは訳があって大変だったんだろうなあ」とまなざしを向けてもらえるといい。このまなざしは患者にはすぐ分かるので、「やさしい先生だ」と信頼に繋がるのではないか。

 

医療者の実存としての関わり方や言葉が患者に大きな影響力を与えうる。痛みを乗り越える「生きる意味」を見出す力を患者に発見させる支援となると思う。そして患者もそれを受け止められるような状態でいたいものだ

 

いったい患者とどう関わったらよいのだろうか。タイトな関係は重苦しい。距離を取りすぎると見放された感じがする。

治癒に向かう過程は患者の自立の過程でもある。一人で痛みと闘うのではなく、痛みのコントロールに有用なツール、話し相手を患者自身が使いこなせるようになるといいのだが。多様な「支援者」を担保するいろいろな試みがなされるとよいと思う。

 

 

4. 出かけていける場

 

医療、家族、患者会、行政などの多方面から支援し、関わることが必要だろう。「どこかに出かけて行ける場」、自分の居場所があるということがとても大切と感じる。痛みがあっても「そこには自分を生かせる意味がある」そういう場がたくさんできてほしいと願う。

趣味の同好会や、映画や植物園や、コンサート、楽しめるところに出かけられ、友人と楽しく話し食事する、大事なことだ。

 

痛みを抱える患者自身が一人ではないように、治療に向かう側もひとりではない。チーム医療が不可欠であるという点では、慢性疼痛とて決して特殊な疾患ではない。ある程度回復した患者の「成功体験」を聞くにつけ、周りの者で患者の苦しみを分け合っていく人間的なつながりが治療効果にも影響するのを実感する。

 

 

5. 生活者として生きる

 

痛みを抱えて毎日を生きる患者は、ともすると「痛み」に向き合ってしまう。「痛み」に向き合ってもあまり何も生まれないと思う。それは医師や研究者の仕事であって、生活者である患者は、痛みがありながらも生きていかなければならない。そうであるなら苦しみながらよりも、工夫して、より楽に、「できないことはあっても充実した人生」を追い求めてほしい。

 

病気だから何もできないということはないし、痛みが無くなってからやる、と伸ばしておく必要もない。線維筋痛症がどんな疾患であるかは複雑だが、苦しんでいるだけで人生を終わるのは全く勿体ないし、苦しむことと「痛みがあること」は違う。

 

快方に向かっていく患者とそうでない患者は何が違うのか。相談会や交流会に参加し始めた患者を見ているとよくわかる。はじめは自分一人だと思っていた患者も仲間を見つけ、話が通じることに驚き、同じ体験をしていることに感激する。さらに自分より状態の悪い仲間のことを心配して世話を焼き始める。この時点で患者は自分の事よりも他者のことを優先して思いやる状態になっている。そして「ありがとう、また会おうね」この言葉はどんな痛み止めよりも沁みわたっているのではないだろうか。

 

患者は、各個人に適したサポートがあれば少しずつ外に出ることができる。もう一度生きる意味を、人生の楽しさを取り戻させてあげるサポートが必要と思う。

 

(代表:橋本 裕子)

 

 

 

 

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