どうしようも父親の話もこの回で最終回にしたいと思います。
本当はまだまだ掘れば話がわんさかわんさか出てきますが…
水道の水のようにね💧💧💧
母か頭打って救急車で🚑救急外来へ搬送、その後階段から転倒してまた救急外来へ搬送💨💨
1日のうちしかも夜だけで連続して救急外来へ搬送って…おかしい、おかしい。
2回目のときのは、主人がそばにいてちやっと見ていたらしい。
私は父が酔っ払って転倒したとこは知ってるけど、それを父わかってない。
母が自分で階段踏み外したと医者やその他の人にも説明してました
そりゃー言えないよね。自分が酔っ払って、転倒して母も一緒に転倒なんてね〜。
母は、言語障害があって話せないから父の言ってることが違くてもそれを違うとは言えない。
まぁー。その前に母も呆れていると思いますが
父は自分が大変なことをしてしまった、なんてーわかってないし、これっぽっちも思ってません。
自分が母の寿命を縮めたなんて微塵にも思ってないから腹たちます
結果的に、膝を骨折してしまいそこから動けず2年半入院しました。
そして…亡くなりました。
母の寿命だったのかもしれません。
でも、でも、きっと入院してなければもう少し生きれたと思います。
母は、右不随になってからも頑張って杖で少し歩く練習をしたりしてたし、寝たきりではありませんでした。
骨折してからは、骨折によってのオペは無理と言われ骨がつくまで安静!←その間に、筋力落ちてしまい、前までできたことが段々出来なくなります。
転院先の先生からは、もうこの骨折は絶望だから骨はつかないかもしれないし、二度と歩けないと思うまで、母は言われました。そんなことを言う医者は医者として失格どころか、人間としてクズですが、毎日動けずベットの上でしか生活できない母は当たり前ですが絶望しかなく、生きていたく無いと私に言いました。
こんなことになったのも全部父のせいです。
母の寿命が62歳だったとしても、骨折は余計だし、医者からこんなはひどいことを言われて傷つく必要も無いわけです。
私は母を見ていて辛かった…。
お見舞いに行くたびにやつれていく母を見るのは辛かったです。
長期入院をしなければならなくなったきっかけを作ったのは父です。
入院をして最後まで家やな帰れなかった…
入院も辛い思いをしたのは母です。
娘の私からしたらこの気持ちやり切れません。
私はもっと母と一緒にこの世にいたかった!
母に教授の成長を見せてあげたかった…
私はこのブログを書いていてまた父に対して怒りが込み上げきました。
父のことを許すことは本当に一生無いと思います。
これから先、永遠に…