なぜ東京タワーはスカイツリーより“エモい”のか
うちの会社も、東京の自宅も、東京タワーの近くにある。
ほぼ毎日、その姿を見ることになるのだが─
─不思議なことに、見るたびに違う感情が湧いてくる。
仕事がうまくいかずに落ち込んでいる日には、
どこか黙って寄り添ってくれるような優しさを感じるし、
成果が出た日には一緒にその高揚感を共有してくれている気さえする。
「よし、まだまだ頑張ろう」と奮い立たせてくれる日もあれば、
「まぁ、そんな日もあるよ」と慰めてくれるような日もある。
一方、仕事で錦糸町方面にもよく行くので、
スカイツリーを目にする機会も少なくない。
しかし、正直言って、
スカイツリーに何か感情を揺さぶられたことは一度もない。
デザインも機能も最新、確かに立派な建造物だ。
でも、あの鉄塔には「物語」がないのだ。
なぜ、東京タワーは人の心に“エモさ”を刻むのか。
なぜ、スカイツリーにはそれがないのか。
個人的な感情と社会的背景を交えながら、少し真面目に考えてみた。
「昭和の残り香」が香る東京タワー
東京タワーが完成したのは1958年。
戦後復興の象徴として、当時の日本人に「未来への希望」を与えた存在だ。
鉄骨をむき出しにしたような構造美。
東京オリンピックや高度経済成長、テレビの普及…
…日本がぐんぐん成長していた時代に、東京タワーは寄り添ってきた。
一方、スカイツリーはというと、東日本大震災の前年 2010年に完成。
もちろん現代建築としての価値は高いが、
「昭和」という空気感の上に立ってはいない。
人は、自分の過去に通じる風景に“ノスタルジー”を覚える。
東京タワーには、その土台がある。
赤い鉄塔の“顔”が持つ感情性
東京タワーの美しさは、ただ高さや機能にあるのではない。
あの紅白カラー、昼と夜でまったく異なる顔を見せるライティング、
季節や記念日に応じた演出──あれは単なる建造物ではなく、
「感情を持った生き物」に近い。
スカイツリーが洗練された“無機質な塔”だとしたら、
東京タワーはどこか「感情を揺さぶる存在」なのだ。
毎日見ていると、まるで自分の心を映しているかのように感じる。
再開発と共に生きる“下町とタワー”の関係
東京タワーのある芝公園・赤羽橋周辺は、
高層ビル群と下町情緒が入り混じる場所。
昔ながらの住宅街や銭湯、商店街が今も残っている。
つまり東京タワーは「人の暮らし」と共にある。
一方、スカイツリーのある場所は下町なのだが、
その足元には大型商業施設や観光施設が整然と配置されており、
生活感というよりは「テーマパーク的」な印象が強い。
だからこそ、東京タワーは“自分たちの街に立っている”
と感じられるのだ。
「記憶」としての東京タワー
ドラマ、映画、小説……東京タワーは様々な場面に登場してきた。
「東京ラブストーリー」「Always 三丁目の夕日」
「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」etc.
親との思い出、デートの記憶、友人と語った深夜の帰り道─
─人々の個人的な記憶に、東京タワーは染みついている。
一方、スカイツリーはまだ新しく、「記憶」としての重みが足りない。
これが、“エモさ”の最大の正体かもしれない。
東京タワーは、時に寄り添い、時に励まし、時に黙って見守ってくれる。
それは、単なる鉄塔ではなく、
風景と一体化した「感情の依代(よりしろ)」としての存在感があるからだ。
同じタワーでも、スカイツリーにはない“情緒”と“記憶”が、
あの塔には確かに宿っている。
だから、私は東京タワーを「エモい」と感じるのだ。
睡眠薬が効きすぎてボーッとしたままの朝に書き綴ってみた分析は、
少し浅いような気がする。
そして、自分で書いてみたものの、まだストンと腑に落ちた感が薄い。
間違いなく東京タワーに感じるのエモさの理由を誰かがさ
らに深く説明してくれないだろうか。
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