誰にも相談できず1人で悩んでいる方や、1人で頑張っている方の相談に応じます!
コーチ、キャリコン、産業カウンセラーの伊藤史子です
昨年秋、福井県福井市にある、「一乗谷朝倉氏遺跡」に旅行しました。
戦国時代、越前の国を治めた朝倉氏の壮大な城下町の遺跡です。
なんとその当時、人口は1万人以上いたとも言われています。
当時の1万人!
どれだけ大きな町だったことか!?と驚かされます。
その一乗谷の遺構の入り口に「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」がリニューアルオープンされ、
中には当時の人々が使用した用具や、
「朝倉館」を復元した建物、
当時の城下町の街並みを再現した模型まであります。
その展示物の中に、朝倉氏7代孝景が子孫に残したとされる家訓
「朝倉孝景十七箇条」がありました。
「朝倉孝景十七箇条」とは、
朝倉氏の重臣の登用や、質素倹約、近臣の登用、そして目付の配置や合戦の教訓、
築城の禁止、国内巡行や訴訟などの内政面などの事項を
簡潔な文章で短く印象的につづったものです。
(引用:「一条朝倉氏遺跡博物館」HPより)
その中で、人材に関するものを見ると
(引用:朝倉英林壁書 現代語訳文 『福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館古文書調査資料2
朝倉氏の家訓』より)
・第一条 宿老の登用
朝倉の家では宿老を一定に決めてはならない。
彼自身の能力と忠節により登用せよ。
・第二条 団扇・奉行職の選任
代々その役職についてきたというそれだけの理由で軍奉行やその他の奉行職を任じてはならない。
・第九条 家臣の評価――奉公と無奉公
よく奉公した者と無奉公の連中を同じように処遇したならば、
何で忠節を尽くして奮い立つ者があろうか。
・第十一条 人材の確保
僧であっても俗人であっても一つの技能に秀でた人材を他国へ行かせてはならない。
ただし自分の能力を自慢して、本来すべき奉公をしないのではけしからぬ。
・第十六条 裁判の公正と家中、主人のありかた
およそすべての裁判や直奏の時には、道理と非道を少しもゆがめてはならない。
もし担当者に私曲があるという情報があり、それが明白な事実ならば
担当者を訴訟に負けた方と同罪にする。
すべて家中を鄭重に沙汰すれば、他国の悪党がどのように干渉しても差しつかえない。
依沽贔屓があり混乱したきまりや行状であるといううわさが立つと
他国から介入するものである。
ある高僧が物語ったのには、「主人は不動・愛染のようであれ。
不動の剣を引っさげ、愛染の弓を持つように、突きもせず、
射もせずして悪魔降伏の相をあらわし、内心は慈悲深い」という。
そのように侍の頭をするものはまず自分の行為を正して兵士や忠臣には賞を与え、
不忠反逆の輩は退治して理非善悪を正すのを慈悲の賞罰というのだろう。
たとえ賢人や聖人の言葉に通じて書物を学んでもその心がねじけていては良くない。
『論語』に「君子は重々しくなければ人を従わせることができない」などと
あるのをみて専ら重々しくすると理解してはならない。
重々しくも軽々しくも状況や時機をみてそうした行動をすることが大切である。
※画像は、「一条朝倉氏遺跡博物館」に展示されていたものです
いかがでしたでしょうか?
約500年も前に、このような人材登用の考え方を示していた戦国武将がいたとは驚きです。
このような考え方で有能な人材を登用し、
人材を国外に出さないようにしていたら、
当然繫栄するのでしょう。
現代の企業や組織の人事でも考えさせられる内容だと感じましたので
ここにシェアさせていただきました。
一乗谷は昭和42年から遺構の発掘作業が開始して
田園の下に眠る遺構が姿を現し、
地元の方々が尽力され開発や破壊されることなく
保存されることとなったそうです。
現地で実際一部復元された街並みも見ましたが、
この街並みが一帯に広がっていたならば
どれだけスケールの大きい城下町であっただろうかと思われます。
興味のある方は一度訪ねてみてはいかがでしょうか?
※かつて、私が痛い痛い経験から得た気づきを書いたところ
引用元の表示もなく、リブログもされず、
ご自身のブログに取り入れて書かれていたことがございました。
引用・活用されたい場合は、リブログが、私のブログから得た内容である旨
表示ください。(これは喜びます!)









