避難先で出会い結婚
今回は、避難先の職場で出会いご結婚をされたお二人をご紹介します
お話しを伺ったのは
富岡町出身の佐藤幸夫さん(24)と、喜多方市出身の小関成美さん(22)です

3月11日、一度勤務先から帰宅し、家に戻った佐藤さん。
ちょうどお母さんとお姉さんはいわきのお母さんの実家に行っていたため、
お父さん、お兄さん家族で水の確保や割れた窓ガラスの処理など
さまざまなことに追われていました。
そして翌日、朝5時には職場に向かおうとした佐藤さんは
防御服を着た方に「ここより先には行けません」と止められ、
突然の避難指示を受けました。
避難した郡山の避難所ではたらいまわしにされ、
お兄さんの小さな子供2人もいたた佐藤さん家族は少し離れた会津若松まで避難しました。
そんな時、勤めていた職場の状況を新聞で知ることになりました。
「双葉病院。入院患者を置き去り」
佐藤さんは12日、職場に向かうとき
「状況もわからないので職場に行かなければならない」
と言ったものの
「あっちは大丈夫なのでとにかく逃げてください」
その言葉を信じ、佐藤さんも避難をしました。
けれど、佐藤さんが勤めていた双葉病院は事実の食い違い、報道のミスにより
大きく話題になり、非難されてしまいました。
職場は今後どうなってしまうんだろう・・・
そんな不安や憤りはあったものの、
借り上げ住宅の話しなどもまだない時期。
目の前の生活をどうすごしていけるのかと、必死な時期でした。
そんな時、お兄さんの職場の方のおかげで住むことができた
アパートの管理人さんの紹介により
医療法人社団 小野病院で雇ってもらえることになりました。
双葉病院の状況もまだわからない。
けれど、すぐ働ける自分が稼がなければ生活がどうなってしまうかわからない。
心が痛み、働き始めた頃は毎日が不安だったといいます。
けれどそんな時、配属になった介護老人保健施設 パステルビレッジ小野で
勤務していた小関成美さんと出会いました。
そして出会って半年後、交際がスタート。
「被災について深く聞いてくるとか励ますとかそういうのは特に何もないけど、
ただ一緒にいてくれて、一緒に笑って。
それだけで被災したことなんか忘れちゃうくらい毎日楽しかったです」
そう笑顔で話す佐藤さん。
「彼は見せないけど、ほんとは傷ついてるんだろうなぁって思ってて、
どうしたら支えになるのかなぁと考えたこともありました。
なるべく笑顔で楽しく、少しでも笑顔になってくれればと思い毎日を過ごしてました」

そんなお二人は交際から1年目の、先月。
9月29日に入籍をしました。

震災がきっかけで結婚観も変わったという佐藤さん。
避難されているとき、お風呂も入れない状況の中
お兄さんの子供達の皮膚がただれてしまいました。
タオルも手に入らない状況だったため、
佐藤さんはお兄さんと伯父さんと千円札を握り締め、
見ず知らずの家のチャイムをならし、
状況を説明。この千円でタオルをめぐんでください。
と、頼みに行ったそうです。
けれどその家の方は千円を受け取るどころか、
涙をながし、タオルと「もらって」とお金を渡してくれたそうです。
「落ち着いた今、お礼がしたかったけれど、
知らない地でほんとにたまたま入った家だったから
どこの家だかわからないんです」
佐藤さんはその時の人の温かさや、
お兄さん家族の支えあう姿などを見て
「自分も温かい家庭を作りたい」
そんな想いが強くなったそうです。

「震災のおかげっていうのもなんですけど、
人の温かさに気づけて、家族の絆も強くなって、いい人とも巡りあえて…
今はとても前向きな気持ちです」
と、佐藤さんは今とても幸せそうでした。
「将来富岡に戻るかもしれない。ほんとにいいのか?」
佐藤さんのお父さんは成美さんに聞いたそうです。
「それでも二人で一緒にいれればいい。
地域は気にしない。」
そんな成美さんだからこそ、
佐藤さんも被災のことは忘れられて笑顔でいることができるんでしょうね
被災したことがきっかけで出会ったお二人。
お二人の幸せを私もずっと応援したいと思います


お話しを伺ったのは
富岡町出身の佐藤幸夫さん(24)と、喜多方市出身の小関成美さん(22)です


3月11日、一度勤務先から帰宅し、家に戻った佐藤さん。
ちょうどお母さんとお姉さんはいわきのお母さんの実家に行っていたため、
お父さん、お兄さん家族で水の確保や割れた窓ガラスの処理など
さまざまなことに追われていました。
そして翌日、朝5時には職場に向かおうとした佐藤さんは
防御服を着た方に「ここより先には行けません」と止められ、
突然の避難指示を受けました。
避難した郡山の避難所ではたらいまわしにされ、
お兄さんの小さな子供2人もいたた佐藤さん家族は少し離れた会津若松まで避難しました。
そんな時、勤めていた職場の状況を新聞で知ることになりました。
「双葉病院。入院患者を置き去り」
佐藤さんは12日、職場に向かうとき
「状況もわからないので職場に行かなければならない」
と言ったものの
「あっちは大丈夫なのでとにかく逃げてください」
その言葉を信じ、佐藤さんも避難をしました。
けれど、佐藤さんが勤めていた双葉病院は事実の食い違い、報道のミスにより
大きく話題になり、非難されてしまいました。
職場は今後どうなってしまうんだろう・・・
そんな不安や憤りはあったものの、
借り上げ住宅の話しなどもまだない時期。
目の前の生活をどうすごしていけるのかと、必死な時期でした。
そんな時、お兄さんの職場の方のおかげで住むことができた
アパートの管理人さんの紹介により
医療法人社団 小野病院で雇ってもらえることになりました。
双葉病院の状況もまだわからない。
けれど、すぐ働ける自分が稼がなければ生活がどうなってしまうかわからない。
心が痛み、働き始めた頃は毎日が不安だったといいます。
けれどそんな時、配属になった介護老人保健施設 パステルビレッジ小野で
勤務していた小関成美さんと出会いました。
そして出会って半年後、交際がスタート。
「被災について深く聞いてくるとか励ますとかそういうのは特に何もないけど、
ただ一緒にいてくれて、一緒に笑って。
それだけで被災したことなんか忘れちゃうくらい毎日楽しかったです」
そう笑顔で話す佐藤さん。
「彼は見せないけど、ほんとは傷ついてるんだろうなぁって思ってて、
どうしたら支えになるのかなぁと考えたこともありました。
なるべく笑顔で楽しく、少しでも笑顔になってくれればと思い毎日を過ごしてました」

そんなお二人は交際から1年目の、先月。
9月29日に入籍をしました。

震災がきっかけで結婚観も変わったという佐藤さん。
避難されているとき、お風呂も入れない状況の中
お兄さんの子供達の皮膚がただれてしまいました。
タオルも手に入らない状況だったため、
佐藤さんはお兄さんと伯父さんと千円札を握り締め、
見ず知らずの家のチャイムをならし、
状況を説明。この千円でタオルをめぐんでください。
と、頼みに行ったそうです。
けれどその家の方は千円を受け取るどころか、
涙をながし、タオルと「もらって」とお金を渡してくれたそうです。
「落ち着いた今、お礼がしたかったけれど、
知らない地でほんとにたまたま入った家だったから
どこの家だかわからないんです」
佐藤さんはその時の人の温かさや、
お兄さん家族の支えあう姿などを見て
「自分も温かい家庭を作りたい」
そんな想いが強くなったそうです。

「震災のおかげっていうのもなんですけど、
人の温かさに気づけて、家族の絆も強くなって、いい人とも巡りあえて…
今はとても前向きな気持ちです」
と、佐藤さんは今とても幸せそうでした。
「将来富岡に戻るかもしれない。ほんとにいいのか?」
佐藤さんのお父さんは成美さんに聞いたそうです。
「それでも二人で一緒にいれればいい。
地域は気にしない。」
そんな成美さんだからこそ、
佐藤さんも被災のことは忘れられて笑顔でいることができるんでしょうね

被災したことがきっかけで出会ったお二人。
お二人の幸せを私もずっと応援したいと思います

