仮設住宅で内職を IIE
今回は仮設住宅で暮らす方々を内職者として
雇い入れている事業IIE(イー)をご紹介します
IIEを立ち上げた谷津拓郎さんは、震災後、
ボランティア活動やさまざまな取り組みを行っていました。
実家が農家のため、仮設住宅をまわり野菜を届けていたりと、
被災された方と接する機会が多い谷津さん。
「何もすることがない」「雇用先がない」
という声が多く、そこで
「被災された方に仕事を与えたい」
という想いが芽生え、
会津木綿を使った小物を販売する事業llEを立ち上げました。

回覧板や人伝で内職者を探し、
現在は7人の内職者がいます。
「なにもすることがない」という仮設住宅の方々には、
縫製の仕事はとても喜ばれたそうです。
そんな仮設住宅で暮らすIIEの内職者の一人、
庄子ヤウ子さんにもお話を伺ってきました
大熊町から避難されてきた庄子さんは、震災前までは
ニットの製造・販売の仕事をされていました。
仕事を失い、まったく知らない地での生活。
やりがいのない日々を送っていた庄子さんは、
会津若松市にできた大熊町サロン「ゆっくりすっぺ」で
内職者を探していた谷津さんと出会いました。

「何もすることがないっていうのはほんとに苦しかった。
まるで社会と関わりがなくなったみたいで。
それほど虚しくて苦しいものはない。
だから谷津さんと出会ってほんとに救われた。」
庄子さんは、「私を救ってくれた谷津さんです!」
と、笑顔で話してくださいました。
狭く、自分の空間がなかなかとれない仮設住宅。
庄子さんは思い切って、会津若松市のテナントを借り、
作業場を作りました。
そして大熊町から、1年間使用することができなかった編み機なども
運んでくることができました。
現在は、その作業場で、
同じく避難されてきている大熊町の女性2人と一緒にIIEの作業をされています。
「物を作っているとすごく楽しい。
やることがあると気持ちも紛れるしね。」
谷津さんと打ち合わせをしている庄子さんは
とても楽しそうで、いきいきとされていました
(動画)
谷津さんはこのIIEを、最後まで残るものにしたい。と言います。
一時的な支援やボランティアはたくさんある中、会津で産まれ会津で暮らす自分だからこそ、
今後、避難して来た方が「会津で暮していきたい」と思ったときに、
住めるような体制やサポートをしていきたい。
同じ福島でも、あまり交流のなかった会津と浜通り。
このきっかを大切に、会津の良さと浜通りの良さを生かせたものも作っていけたら。
そう話す谷津さんの想いと、避難されてきた方の想いがこもっている
IIEの商品がこれから更にひろがり、
庄子さんのように、避難して来た町でも楽しみを見るけるかたが
一人でも増えていってほしいですね

雇い入れている事業IIE(イー)をご紹介します

IIEを立ち上げた谷津拓郎さんは、震災後、
ボランティア活動やさまざまな取り組みを行っていました。
実家が農家のため、仮設住宅をまわり野菜を届けていたりと、
被災された方と接する機会が多い谷津さん。
「何もすることがない」「雇用先がない」
という声が多く、そこで
「被災された方に仕事を与えたい」
という想いが芽生え、
会津木綿を使った小物を販売する事業llEを立ち上げました。

回覧板や人伝で内職者を探し、
現在は7人の内職者がいます。
「なにもすることがない」という仮設住宅の方々には、
縫製の仕事はとても喜ばれたそうです。
そんな仮設住宅で暮らすIIEの内職者の一人、
庄子ヤウ子さんにもお話を伺ってきました

大熊町から避難されてきた庄子さんは、震災前までは
ニットの製造・販売の仕事をされていました。
仕事を失い、まったく知らない地での生活。
やりがいのない日々を送っていた庄子さんは、
会津若松市にできた大熊町サロン「ゆっくりすっぺ」で
内職者を探していた谷津さんと出会いました。

「何もすることがないっていうのはほんとに苦しかった。
まるで社会と関わりがなくなったみたいで。
それほど虚しくて苦しいものはない。
だから谷津さんと出会ってほんとに救われた。」
庄子さんは、「私を救ってくれた谷津さんです!」
と、笑顔で話してくださいました。
狭く、自分の空間がなかなかとれない仮設住宅。
庄子さんは思い切って、会津若松市のテナントを借り、
作業場を作りました。
そして大熊町から、1年間使用することができなかった編み機なども
運んでくることができました。
現在は、その作業場で、
同じく避難されてきている大熊町の女性2人と一緒にIIEの作業をされています。
「物を作っているとすごく楽しい。
やることがあると気持ちも紛れるしね。」
谷津さんと打ち合わせをしている庄子さんは
とても楽しそうで、いきいきとされていました

(動画)
谷津さんはこのIIEを、最後まで残るものにしたい。と言います。
一時的な支援やボランティアはたくさんある中、会津で産まれ会津で暮らす自分だからこそ、
今後、避難して来た方が「会津で暮していきたい」と思ったときに、
住めるような体制やサポートをしていきたい。
同じ福島でも、あまり交流のなかった会津と浜通り。
このきっかを大切に、会津の良さと浜通りの良さを生かせたものも作っていけたら。
そう話す谷津さんの想いと、避難されてきた方の想いがこもっている
IIEの商品がこれから更にひろがり、
庄子さんのように、避難して来た町でも楽しみを見るけるかたが
一人でも増えていってほしいですね

