ヤマト運輸喜多方支店で新たなスタート | eriのブログ

ヤマト運輸喜多方支店で新たなスタート

今回は富岡町から喜多方へ避難されてきた
ヤマト運輸のセールスドライバー、佐藤一成さんを取材しましたマイク


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佐藤さんの自宅は原発から11キロの位置にあり、
現在はお子さん2人、そして佐藤さんの家族と共に9人で喜多方へ避難されています。


震災当時、町中に響き渡るサイレンの音に驚き外に出た佐藤さん。
外にはガスマスクをつけた警察の方々。
「山に逃げろ!」
そんな声に頭が真っ白になりながらも
「子供を守らなければ」
そんな想いで、家を飛び出し郡山へ向かいました。

ガソリンもない中、原発から少しでも離れるため
行ける所まで行こう。と、会津若松の避難所へ。

けれど、当時生後半年と、2歳の子供を抱えての避難生活は
とても苦しいものでした。

突然の環境の変化に子供の夜泣き。
そして奥さんは精神的ショックから母乳がとまってしまい、
子供もその影響を受けてか、2・3日ミルクを飲まない日が続き。
2歳の子供は気管支炎に。

このままでは死んでしまうんじゃないか・・・

そんな苦しい避難所の生活を抜けだすため、
高校卒業から6年間働き続けていた富岡町で
長年お世話になっていた上司、
佐藤哲也支店長へ相談することに。

「自分の住んでいるアパートの下が開いているから、
電気は点かないけど来い!」
すぐに大家さんに電話してくれた佐藤支店長の心遣いから、
翌日には家族9人で引っ越すことができました。


会社では支援物資を積んだバスが家の目の前まで来てくれ、
洋服、子供のミルクやオムツ、お米など用意してくれたそうです。

苦しい避難生活を助けてくれた会社、
そして佐藤支店長に感謝の想いでいっぱいです。
と、佐藤さんはおっしゃっていました。


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そして4月11日にはヤマト運輸の喜多方支店で働けることに。

道もわからない初めての地での配達はとても大変だったと言います。
けれど、職場の方、そして喜多方のお客様に支えられ、
少しずつ日常を取り戻していきました。


家族以外とはなかなか人と会話をする機会がない中、
配達先でのお客様方から
「見ない顔だね、どこから来たんだ?」
と、声をかけられるように。

始めは「富岡から来たなんて言ったら、嫌な風に思われるんじゃないか・・・」
と、不安だった佐藤さんに、喜多方の方は、
「大変だったな」「喜多方はいい所だから!」
と、あたたかく迎え、
そんなお客様のためにも喜多方で頑張っていきたい。

そんなふうに思えていったそうです。

それでは佐藤さんの想いをお聞き下さい。




これからの住まいのこと、生活のこと、
考えなければならないことは多い中、
まだ先が見えないため目標もなかなか立てられない佐藤さん。

けれど、ついてきてくれた家族のため、
これからも頑張って働いて、支えていかなければならない。
と言います。

そんな佐藤さんの、頑張ろうと思える原動力は、
震災が起こる五日前に亡くなられたおばあちゃんがよく言っていた
「大変だけど頑張るんだよ。家族のためちゃんと働くんだよ」
という言葉でした。

この言葉を胸に、佐藤さんは家族のため、
一日一日を懸命に頑張られています。

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