笑顔で地域の架け橋に | eriのブログ

笑顔で地域の架け橋に

今回は、相馬市の中野地区から喜多方へ避難され
現在、医療法人健仁会 あきもとクリニックで勤務されている
蛯原ゆみ子さんを取材してきましたマイク


$eriのブログ



2011年3月11日
自宅にいた蛯原さんと息子さん。
突然の地震速報と揺れに「今までと違う」
と感じた蛯原さんは二階にいた息子さんのもとへ。
怯えながら飛びついてきた息子さんを抱え、
転びそうになる揺れの中、急いで外へ。

家には亀裂が走り、瓦は崩れ。
「このまま死んじゃうんじゃないか・・・」
そんなことが頭をよぎりました。


蛯原さんの自宅は海から6キロ離れた場所。
「津波が来たから逃げろ」
まさかの言葉に戸惑う蛯原さん。

二度目の津波警報のときには原発の問題も。

「生きた心地がしない」
避難した際にケガもしていた蛯原さんは、
肉体だけでなく精神的にもまいってしまい、
何よりお子さんの精神的ショックを心配し
両親を説得し喜多方へ避難しました。


心身ともに辛い期間を過ごした避難生活。


そんな時、避難所に定期的に診察に来ていた
秋元登志夫医師と出会いました。

丁寧な診療と笑顔。おおらかな人柄に癒され、
治療のためあきもとクリニックに通うことに。

蛯原さんに介護の資格があることが先生の耳に入り、
リハビリステーション課に勤務することになりました。


$eriのブログ


仕事をしているときは時間がたつのも早く、とても充実している。
けれど、失ったものも大きく、当時のことを思い出すと涙があふれ、
見えない不安やショックに苛まれるときもあると言います。

けれど、患者さんや職場の方々の優しさに元気をもらえる。
辛いときこそ笑顔を絶やさず、声を出して患者さんと向きあい、
もらった元気を自分も元気でお返しいたい。
と、笑顔で話して下さいました。


$eriのブログ


そんな蛯原さんに
あきもとクリニック院長 秋元登志夫先生は
「とても明るくて患者さんに元気を与えられる
素晴らしいスタッフだと思います。
文化や風習なども違う浜通りと会津で、新しい交流をしあえるような、
そんな橋の掛け渡しのような存在でいてほしい」
とおっしゃっていました。


$eriのブログ


「ずっと喜多方で暮らしていくつもりなので、
子供が心から、こっちに来てよかった!
って、もっともっと思えるように、
自分も地名なども覚えて頑張って勉強していきたいと思います」


蛯原さんの笑顔は、息子さんの心にはもちろん、
きっとこれからあきもとクリニックにも欠かせないものとなり、
たくさんの患者さんがたに元気を与えてくれるんではないでしょうかface4


$eriのブログ


最後に動画をご覧くださいキラキラ