愛とは何だろう | 資金調達コーディネーターⓇ・中小企業診断士の上野光夫のエッセイブログ「今日も前向き日和」

愛とは何だろう



誰しも皆、人生のいろんな局面で考えたことのあるテーマではないだろうか。

 

恋愛、親子愛、友愛、動物愛。


 

この世界にはさまざまな「愛」を含んだ言葉がある。


それは、これまでたくさんの人々が「愛」というテーマを意識し、感じて生きてきた証拠だという気もする。


 

先日、私が起業コンサルをしているクライアントと話している際に、ひょんなことからそのクライアントの恋愛相談になった。



その時には彼の性格や現状をもとに、私なりにいろいろアドバイスをしたのだが。


 

その日の晩、そもそも愛とはなんだろう・・・と考えてみた。


 

が、正直、さっぱり分からない。


 

ただ、それとなく「愛」とは「思いやる心」にとてもよく似ていると思う。



そしてそれは、人が生きていく上で一番に等しいくらいに重要なことなのではないかと感じている。

 


たとえば、ある対象に対して「こうしたほうが良い」「ああした方がうまくいく」「そのほうが本人も悩まず、都合がいいはずだ」と思っていることがあっても、その対象自体がそれを望んでいるのか、いないのか、望ましい形をきちんと見分け、寄り添うことのような。



 

「こうしたほうが良い」「ああした方が良い」と言うことは、もちろん、その対象を思いやる気持ちから生まれた提案であり、それに対して根拠や自信もある。

 


だけれども、相手なりの経緯を辿りたいと思っている場合もあるし、そもそもそれを望んでいないのであれば、その根拠や自信のある、いわゆる「案」や「策」と言うものは全く意味を持たなくなる。


 

そういうことに陥らないためにも、その対象の望んでいる形を知ることが最も必要になってくるのだろうと。


 

相手に寄り添い、なにを大切にしているかに気づき、また寄り添う・・・

 

それらを一つ一つ、紡ぐようにして継続し続ける作業が「思いやる」ということで、だれかを「愛する」ということに繋がっていくような気がする。


 

もちろん、「案」や「策」が無ければ、物事の進歩や改革はない。



そしてそれを伝える能力を養う努力も怠ってはならないと思う。


 

会社のような組織であれば、それぞれの意見を交換し、刺激しあい、新たなモノを創造することが重要である。


 

しかし、相手が一個人だとしたならば、時としてその相手の価値観や幸福感を優先させることが必要であろう。

 


自分がいろいろ角度を変えて、試行錯誤して「良いと思うこと」を伝える努力をしても、相手がそれを望んでいないのだとしたら単なる押しつけになる。


 

この話の結論を絞り出すとするならば、


 

相手の生き方そのものを尊重し、それを見届けることが「愛の力」ということになるのだろう。



そう思うと、私ももう一度、クライアントに寄り添い、なにを大切にしているかを知り、また寄り添えているかを意識していこう。


 

一人のクライアントのひょんな恋愛相談は私に重要なことを教えてくれたようだ。