相対性について、少し誤解があるようだが、これは必ずしも地球ローカルな概念ではない。むしろこの宇宙そのものが相対性という幻想を味わうための壮大な機構だ。
地球の外にでても比較は存在する。むしろ宇宙人は比較の対照のために進んで地球人を観察してきた。
優劣とはいかなる関係もないが、長い間、本当に長い間、地球は闇の惑星であった。しかしそのことは全宇宙に多大なる貢献をしていた。闇の宇宙文明があってこそ、多くの宇宙文明は自らを光として知ることができたからだ。光を相対世界で体験するためには、どこかに闇の幻想の担い手が必要になる。
その地球の闇のフェーズも終わりが近づいている。もはや地上に闇を作ることなく、光を体験できるのだ。
光と闇、上と下、進化した文明と原始的な文明… 相対世界たるこの宇宙の中には事実としてそれらが存在する。そういった比較によって種々の概念を体験可能とすることがこの宇宙の目的だからだ。ただし、それはいかなる優劣をも意味しない。単なる役割の違い、フェーズの違いだ。それ以上でもそれ以下でもなく、全ての存在は本質的に対等だ。
この逆説こそが世界の神秘、神の驚異である。