祖父の入院や老人ホームの身元引受人を嫌がった母に、いつの間にか言いくるめるられ、私が祖父の身元引受人になってサインさせられました。
そのため、老人ホームからの連絡は私に来るようになりました。
しかし、そのほうが、老人ホームのスタッフのかたはホッとしたようでした。
姉も結婚し子供ができ、実家には姉夫婦とその子供たち、そして母が暮らしていました。
私は社会人になってからずっと一人暮らしをして実家を出ていました。
ある時、私が思い切って髪型をチェンジしたとき、旦那に「似合ってる」と言われ、私も自分で似合ってる!と思っていたのですが、
母から「えー全然似合ってない!」と言われ、何かおかしい?と違和感を持ち始めました。
「この日は忙しいから電話に出れないから」と前もって母にいうと、わざわざその日に母は私に何度も何度も電話してきました。
急用かと思い、電話に出ると、本当にしょうもない話。
「今日は忙しいから電話出られへんって言ったやん」と言うと、
「良いじゃない、助けてよ、なんて冷たいの!」と、猫なで声からの逆ギレ。
こちらの都合はおかまいなし。
「あんたの忙しいなんてゴミみたいな話。私を一番に優先して」という態度。
不愉快でしたかたなかったです。
さて。
私は29歳で今の旦那と結婚し、30歳頃に膠原病になりました。
このときはそれ以外にもいろいろ病気合併しており、免疫異常暴走のアレルギーような症状も出て、食べられないものがたくさんありました。
それを知っている母は、わざわざ私に電話してきては
「私はアレもコレモ食べられるのよー!こないだのんだワイン美味しかった、こないだ食べたホテルの食事美味しかったわよー!」と、
食べられない私に向かって、自慢ばかりしてきました。
※旦那もあきれていました。
「今私は食べられへんから、そういう話は姉にして」と言うと、母は優越感を感じて更に喜んで話し続けます。
姉や姉の夫の悪口も言い出します。
しかし、姉には私の悪口を言っているのです。
何を言っても相手の辛さを理解しない。
私は母の優越感を感じるための道具、イラつく時のはけ口でした。
母から「何か食べに行こう」と誘われ、「私はいま食べられるものがあまりないからココしか行けない」と食べられるカテゴリーのお店を言うと、「えー私そんな安っぽいとこ行けない!」と、病気の私を気遣うこともなく、高級レストラン以外は行きたくないと言い、一緒に食べに行くこともありませんでした。
↑ホントにこんな親がいるのですよ。
※ちなみに、この時食べられた外食は焼き鳥です。鶏に塩コショウ。添加物もなくシンプルな調味料なので大丈夫でした。
食べられるものが本当に少なく、長時間の外出時には、お弁当を持参していました。
その頃私は添加物やナッツ類でもアレルギー反応が出ていたので、お菓子も手作りして外出していました。
祖父の面会時にも持参し、母に「食べる?」と渡すと、「そんなもの食べたくない!」と言い、どんなに勧めても、受け取りませんでした。
↑何度も言いますが、ホントにこんな親がいるのですよ。
「おまえはいらない」と私は祖父に昔捨てられそうになっていたのに、祖父は手作りのお菓子も「美味しい」と言って食べてくれ、
私が病気になったときは、
「可哀想に。わしが代わってやれたら。」と言いました。
子供のときは捨てられそうになり傷付いて死にたかった私ですが、その言葉に少し救われました。
祖父のほうは、まだ人間味がある人でした。
母が言う「私が不幸になったのは、みんな祖父と父のせい」という言葉に洗脳されてきた私も、さすがに気づき始めました。
おかしいのは母だと。
遅すぎるけど。
ようやく30歳くらいで気付いた。
最後の望みをかけて、母に謝ってほしくて、私が「幼い頃は面倒見てもらえず辛かった」と母に伝えました。
すると母は謝ることなど一切なく、「私もしんどかったんだから、わかってよね」と言われました。
ああ、この人には何を言ってもダメだ。そう思いました。
〜続きます〜