岩手県の陸前高田、山田町、宮古市の3ヶ所の避難所でライブをしてきた。




3月11日以降、自分たちで出来る範囲の支援を精一杯してきたつもりだった。それでも心の中には、やり切れぬ想いが残っていた。




自分たちはミュージシャン。音楽の力の上に成り立っている人間。その力を最大限に生かせるのは、やっぱりライブで歌を直接届ける事だと思っている。




その願いが、あの震災からちょうど100日目に叶った。ずっとずっと会いたいと思っていた人たちと、ようやく会えるようになったんだ。







それ相応の覚悟はしていた。


けれども実際に被災地を目の当たりにすると、同じ日本とは思えないほどの悲劇的な光景に、思わず言葉を失った。



















あまりに非現実的で、感情が無になってしまう。でもここには確かに人々の暮らしがあったはずなのだ。道端に転がる日常のかけらを、泥だらけになった生活の破片を見ると、心が締め付けられるように苦しくなった。






どんな顔をしてステージに立とうか…。どんなテンションで歌おうか…。どんなメッセージを込めようか…。



初日のライブ前には、色んな迷いや葛藤が脳裏をよぎっていたけど、実際にステージから見えたのは、被災地の皆さんの弾けんばかりの笑顔、笑顔、笑顔。



















きっとその笑顔の裏には、癒しきれぬ悲しみだってあるはずなのに、逆にこっちがパワーをもらってしまうほど元気いっぱいにライブを楽しんでくれてた。




最前列のお父さんの涙には思わずもらい泣きしちゃったけど、しんみり歌うライブなんて、FUNKY MONKEY BABYSらしくないから。いつも通り熱唱させてもらったよ。




あんなにも「“頑張れ”と言わないようにしよう…」と決意していたのに、何十回も「頑張れェェェ!」って叫んでしまったよ(苦笑)。




ほんの少しでいい。たった一日でもいい。たった一歩でもいい。俺たちのライブで前向きな気持ちになってくれたら、本当に心から嬉しく思う。







陸前高田の避難所で、とあるご両親が4月に生まれたばかりだという赤ちゃんを俺に見せてくれた。




お父さんの腕に抱かれスヤスヤと眠る赤ちゃん。その小さな小さな手のひらに、俺の人差し指を添えてみたら、ギュッと握った。




決して離さないように力強く握っていた。




岩手の赤ちゃんは…いや、東北の未来は、涙が出そうなくらい力強かったよ。






避難所で誰かが言った。ここは“被災地”ではなく“復興地”。




そうだ、負けない東北魂と、俺たち日本中の支えがあれば、必ず復興するだろう。


必ず復興させよう。


必ず。