今回はサッカー好きである私のJリーグの記事にしたいと思います。

昨年のJリーグで15年ぶりの優勝を果たした横浜FマリノスについてFマリノスのFという文字が何を意味しているのか皆さんご存知でしょうか?

これについて知っているサッカーファンや知らないサッカーファンもいるとは思いますが
今の横浜Fマリノスというクラブは横浜マリノス横浜フリューゲルスが合併された姿であり、「F」という文字はフリューゲルスの頭文字となっておりまり、現在はマリノスが保有している状態です。

当時は横浜市をホームタウンに置く横浜マリノスと横浜フリューゲルスの2チームが存在しておりJリーグオリジナル10の中でもこの2チームが存在しておりました。

合併が発表されたのが1998年10月29日、今から20年以上も前になります。

発端となったのがフリューゲルスの出資会社の佐藤工業と全日空の2社の内、佐藤工業が経営が悪化しておりチームの運営から撤退。全日空も赤字を抱えており単独でチームを支える余力がなかったため、マリノスの親会社である日産自動車と協議の結果の上で、この2チームが合併されて横浜Fマリノスというクラブ名となったのです。

フリューゲルスの名前を無くしたくないフリューゲルスサポーターの思いが届かず、企業側の判断でチームを消滅させたことで今のJリーグの理念にも反していることです。

動画でも見ましたが合併の事実を知ったフリューゲルスサポーターの怒りは収まっておりませんでした。

合併発表後の1998/10/31の日産スタジアムで行われたホームのセレッソ大阪では7-0の圧勝!その試合の後にサポーターがスタジアムに残り
合併撤回を求めクラブ側のフロントと話し合いが深夜にまで及びました。

一方、受け入れる側のマリノスでも取締役が拡声器を投げられ流血する騒ぎにまで起きてしまい、フリューゲルスだけでなくマリノスも合併には否定的な反応です。

1998/11/3のアウェーでのサンフレッチェ広島の前日移動で選手は飛行機での移動を拒否して新幹線での移動です。
そのころ地元に残ってるフリューゲルスサポーターは鹿島スタジアムに訪れて、鹿島サポに頭を下げてまで署名をお願いするシーンも!
普通だったらこんなの簡単にできることではありません。

フリューゲルスサポーターにとってフリューゲルスの存続にかけた絶対に負けられない戦いなんです。

全国のサッカーファンから寄せられたフリューゲルスの存続の署名が60万を超える数でした。しかし、結局は思いが届かず1998/12/12に選手やサポーターに何の報告もなく両クラブの合併調印が実施されました。

フリューゲルスとして残された日は少なくなり、そんな中でリーグ戦終了後の天皇杯ではジュビロ磐田、鹿島アントラーズを押しのけて、決勝で清水エスパルスを下して優勝を勝ち取りました。

この天皇杯ではフリューゲルスにとって選手、サポーター、このチームで最後として絶対に負けられない戦いがそこにあるからなんだ。

天皇杯の優勝を後に、正式にフリューゲルスの消滅が決定しており、横浜Fマリノスというクラブ名であります。

当時のフリューゲルスサポーターは今頃どうしているのか気になりますが、他クラブのサポーターだったり
今の横浜Fマリノスのサポーターだったり、サッカー見なくなったりと様々だと思います。

現役Jリーガーとしてフリューゲルスに在籍経験があるのが現在ガンバ大阪に所属しています遠藤保仁(ヤット)ただ一人です。
彼は合併が発表された年の1998年に高卒でフリューゲルスに入団し、その年でプロ初ゴールも上げております。
フリューゲルス消滅を機に、京都パープルサンガ(現京都サンガFC)→ガンバ大阪へ移籍し現在に至っており、ガンバ大阪ではチーム最年長の選手です。
そんな彼が日本代表として3大会連続でワールドカップに出場しており、中でも2010年南アフリカワールドカップでの
グループリーグ3戦目のデンマーク戦でフリーキックからゴールも決めています。
憶測ではありますがガンバサポの中で彼がかつて横浜フリューゲルスに在籍していた事実を知っている人は少ないのではないかと思います。

2018年に現役を引退した名古屋グランパスの守護神楢崎正剛もかつては横浜フリューゲルスの選手でもあり、フリューゲルスの消滅と同時に
名古屋グランパスに移籍してきた選手です。彼はグランパスに在籍していた頃に、前所属チームに横浜フルーゲルスの名前が記載されておりますが
彼が引退してから、横浜フリューゲルスを前所属チームと記載されている選手はどのクラブにもいませんでした。

1998年にフランスワールドカップでブラジル代表として出場したサンパイオもフリューゲルスの選手であり、現在はブラジルのあるクラブで経営をやっております。

現在キックオフFマリノス(キクマリ)に出演している波戸康広もフリューゲルスの選手であり、消滅後の1999年にFマリノスに移籍し、柏レイソル→大宮アルディージャへと移籍を経験して2010年にFマリノスに復帰して2011年に現役を引退した選手です。

1998年のフリューゲルスの監督だったゲルト・エンゲルスは現在はなでしこリーグでINAC神戸の監督を勤めています。

他のフリューゲルスの選手たちはもう既に現役を引退しており、既に自分たちの人生に歩んでいるところだと思います。

あれから20年も経過しておりますから、フリューゲルスが存在していた事実を知らないサッカーファンが増えているのではないかという気がしますが
もし皆さんが応援するクラブが消滅ということになったら、絶対に信じられないですよね!
なのでこういうことがあってはならないと思い少しでも関心を持っていただきたいと思います。