[naibuhibaku] 原発通信1096 私たちの決断 あの日を境に
tsk1jp1@yahoo.co.jp からの記事をシェアさせていただきます。
みなさまへ 原発通信です
ほんとにむごい。
どうすりゃいい? どうすりゃ?
政府が動かなくって、なんとかなるのか?
その政府も変わりそうもないなんて!
その政府も変わりそうもないなんて!
前回の「再稼働反対行動/Sさんのレポート」への
Tさん (関東 男性) からの感想です。
どうすればよいのでしょうか?
多くの人たちに福島原発事故による被害の全体像
を知っていただくための努力も重要と思います。
分かりやすいチラシをポスティング。
私たちの決断 あの日を境に3
原発賠償京都訴訟原告団編 耕文社発行より
福島県から京都へ母子避難した母親たちなどの言葉
14 私は、町長さん、教育長、学校側にスクールバスで町の
子供たちを 西日本に避難させるようお願いしました。
町長さんも承諾し希望者を募ろうとした時、福島県から止め
るよう教育 長に連絡が入りました。彼らはそこで諦めてしま
いました。悔しかった です。
新潟空港で出会った東京電力の社員は、福島原発へ派遣され
ることになったので、その前に四国にいる親に会って来いと
上司から言われたそうです。
注)太平洋戦争中の特攻隊員と同じ状況です。
一度町に戻ったら、うちの子のクラスの半分の児童が鼻血を
出していました。私にとって、子供を守ること以上の大切な
ことはありません。だから避難生活を続けます。
原発事故の責任をきっちり取っていただきたいです。
15 とにかく子供たちを放射能汚染から遠ざけ、普通の暮らし<
をさせたい。
周囲の反対を押し切り、差し迫る思いで子供二人を連れて京都
へ避難しました。マスクなしで暮らせることがうれしいです。
普通の親が立ち上がらなくては子供たちは守れないと思います。
16 避難先で家賃が支払えずに、身も心もぼろぼろになって戻る
人がいます。
避難したくても、家族に言えない女子生徒がいます。
避難元では若者の突然死が増えています。
福島ではマスクをしていると「おかしい」と言われます。
放射性物質を避ける生活を悪い事のように見る雰囲気が作られて
います。
17 8年間勤めた仕事を辞めて、息子を守るために京都へ避難
しました。
だれかに恨まれてもいい、息子を守るんだという強い気持ちが、
私が避難した理由です。息子が普通に外で遊べることが幸せです。
18 福島で子供が学校から言われたこと 雨に濡れてはいけない<
/外で遊んではいけない/遊ぶときは体育館で/道の端を歩いては
いけない/草に触れない
原発事故に対する関心が薄れています。「日本人てどれだけ忘れ
やすいんだろう」と思います。
19 福島では、ふとんや洗濯物を干すなどのとき、汚染を気に
しているとうつになり生活できなくなります。見ないふりをして、
何も感じない様にして生活するしかありません。
そして何も言えなくなります。
20 やっと歩けるようになった我が子を、汚染の酷い環境下に置く
ことは絶対に考えられなかった。
ただただ、我が子を守りたかった。
このメールは
Google グループのグループ「内部被ばくを考える市民研究会」