俺(27歳独身)が小学生のころはもちろんインターネットなんてなくて、携帯電話も、ポケベルさえもなかった。
他人とのコミュニケーションといえば、家の電話・手紙・電報・直接会って話すくらいだった。
例えば、生まれたばかりの自分を中心に置き、その直近の周りを円で取り囲むように両親や祖父母、兄弟などの家族がいると仮定する。
外で遊ぶようになるとその円の外側の同心円に近所の人、小学校に上がるとその外側の円にクラスメイト・担任の先生、中学校に上がるとその外側の円に中学のクラスメイト・担任の先生・教科の先生…
そんな風に同心円が大きく幾重にも重なっていくにつれて、徐々に自分を取り巻く人間関係は広く複雑になっていく。
そして最終的には社会に出て(好むと好まざるとにかかわらず)円の外側の不特定多数の人たちと関わり、自ら同心円を広げたり狭めたりする。
その”ゆるやかな”過程の中で、礼儀とか建て前とかの基本的な人間関係や、人を見る目とかを養っていく。
少なくとも俺と、俺の周りの環境と、俺の時代はそうなっていた。
しかし、インターネットの世界はそういう同心円のゆるやかな過程を一切無視して、いきなり不特定多数の人間に通じている。
インターネットをやるということは(好むと好まざるとにかかわらず)その不特定多数の人間と関わらなくてはならないということでもあり、それはインターネットをやっている限り、誰にでも容赦なく降りかかってくる。
先日、長野県に住む12歳の女の子が、神奈川県に住む31歳の男に誘拐(?)され、3日間連れまわされるという事件が起きた。
二人はネットで知り合い、示し合わせて一緒に行動していたが、テレビで事件になってることを知り警察に出頭した。
3日間で二人の間にどういう会話がなされたのかは知らない。
しかし少なくともテレビで公開捜査になるまで
”12歳の小学生を連れまわすという行為は犯罪である”
ということと
”小学生が一人いなくなると大ごとになる”
ということに気付かないこの男は、とてもまともな大人であるとは言い難い。
きっとちゃんとした同心円を描けずに大人になったんだろう。
俺はこの27年間でそこそこの同心円を描いてきたつもりだが、親しい友達のメールですらその本心を推し量れない時がある。
メールというのはそういうものだ。
なのに12歳の小学生が、顔も年齢も性別も住所も職業も身体的特徴も確認できない人間の、メールの機械的な文字を見ただけでその人間がどういう人間であるか?その人に悪意があるか?を判断するなんて絶対に不可能である。
そもそもあの犯人に悪意そのものがあったのかすら疑わしい。
ひょっとしたらただ単に友達になりたかっただけかもしれない。
それだったら余計にたちが悪い。
12歳の小さい円の中に見ず知らずの大人がクラスメイト感覚で入り込んでくるわけである。
…それもまともな感覚を持たない”天然”の大人が。
インターネットはいとも簡単にそれを可能にしてしまう。
そんな普通じゃない状況に子供をさらさない為に、そろそろ、ある程度の強制力を持って大人は取り組むべきじゃないだろうか。
中学生…いや、高校生以下はインターネット禁止にしてもいい。
というか断固するべきだ。
まずリアルな人間関係の同心円を描いて、その外側にヴァーチャルで無責任な”仮想人間関係”の同心円を付け足せばいい。
リアルが分かんないのにヴァーチャルなんて分かるわけがない。
逆にヴァーチャルがリアルになったら人間は困ったことになる。
…そういうことをちゃんと子供に教えるべきでしょ。
便利便利ばっかり言ってないでさ。
だいたい、子供がそんなにいろいろ知る必要があるのか?
本やテレビで十分だろう。
…まあ、ギリCS放送までだ。