FMアップル 「北海野球部百年物語」 月曜日20時~21時(札幌76.5MHz)
昨日の放送前、北海高校のグラウンドへ足を運びました。そこにはいつもの活気溢れる掛け声はありませんでしたが、1,2年生の部員が丁寧に、黙々とグラウンド整備をしていました。
つい先日まで一緒に汗を流していた3年生との思い出を辿るように丁寧に、おそらくポジション別だと思いますが、それぞれ想いを込めていたように感じました。
南北大会へ出場する32校が決まりましたがもうすでに道内で約200校が姿を消したことになります。甲子園への道は近いようで、やはり遠いのですね。
甲子園へのチャンスがある学校には完全燃焼、全力プレーを期待しています。
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北海野球部百年物語の冒頭130ページです。
電子図書(楡印刷様ご提供)表紙~第3章「北海野球部、いざ全国へ」昭和8年まで
提供:楡印刷株式会社
北海野球部の素晴らしきその伝統、その歴史を引き続き一人でも多くの方に伝えていき、共に新しい時代を見つめていけるよう、引き続きみなさん、よろしくお願いします。
今週のゲスト、丹野悟さんを恩師だと慕う方がたくさんいます。
今回、放送前に札幌大の元エース佛具克明さん(昭和63年度)に丹野さんが出演することを伝えました。
「僕が1年生の冬に丹野さんが奥村先生に代わられて監督になったんですよ」(佛具さん)
それからは道内リーグ戦での優勝ではなく、全国優勝を目標に一気に練習が厳しくなったそうです。
「当時の近寄り難いイメージはすっかりなくなりましたね」(佛具さん)
丹野さんの野球観は独特のもの。練習への取り組み、創意工夫。
すべて北海野球部での厳しい三年間によるものかもしれません。
丹野悟さんプロフィール
1966年(昭和41年)4月に北海高校入学の高校21期生。多くの部員の陰で下積みも長かったが、2年秋の新チームでは遊撃手として試合に出場。1967年(昭和42年)の秋季全道大会は初戦で苫小牧東に敗退する。
3年春季大会では3年ぶりの優勝を飾り、南北海道大会では決勝で前年秋に敗れた苫小牧東を下して2年連続の甲子園出場を果たした。
2番遊撃手として出場した甲子園は第50回大会の記念大会。開幕第二試合に高知と対戦し3-4で敗れた。
札幌大でも活躍し2年、4年の時に大学選手権に出場、1973年(昭和48年)に社会人野球・電電北海道へ進み2年間の現役を経て、1985年(昭和60年)のシーズンから母校・札幌大監督に就任し、2003年(平成15年)までの19年にわたり北海道学生野球をリードした。
現在も札幌大職員。
放送前にお話を聞いて驚いたのが丹野さんが札大監督になったのが昭和60年だったということ、まさに私が高校野球をやっていた頃で、もっと前から監督を務められているかと思っていたのです。
札幌大も春季リーグでまさかの最下位に沈み、先月の入れ替え戦でも敗れ史上初の二部降格の憂き目に遭いました。先日の北海の敗退とともに、残念なシーズンを迎えているように思えました。
「いやぁ、残念でしたね。期待していたんですけど(笑)でもね、高校野球もそうですけど、本当に野球は難しいんですよ。私も何度も何度も(札大で)失敗しましたもん。相手もいることですから、うまくいかないこともあります。後輩たちには『残念だったね』って声かけることしかできませんね」
大学野球部の指導者として長年勝負の世界にいた丹野さんの言葉には不思議な説得力があります。
毎年選手が入れ替わることも、目標があることも同じ。指導者として何度も何度も悔しい思いをしてきたのですから。
「私たちの高校時代はね、今思えばついていた、というかすべてが上手くいったように思うんだよね」
では、昭和43年の夏、丹野さんたちはなぜ、うまく勝ち進めたのでしょうか・・・
「高校野球はミスしなければ勝てる、少なくても負けることはありません。高校野球は負けなければいいのですから、目的は簡単です。ミスをなくそう、を合言葉に練習を繰り返しただけです」
昭和40年代(若松勉さんは丹野さんの3年先輩、4月19日のゲスト・村井英司さん1学年先輩にあたります)当時は札幌光星が台頭し、北海と何度も何度も試合をします。丹野さんが2年の秋には札幌地区で2-0、3年の春季全道では決勝で8-7の打撃戦を制します。当時の夏の甲子園出場を占う新聞には北海、札幌光星、苫小牧東(センバツ出場校)の3強の争い、と評されています。
「3年の夏の大会前の練習は本当に厳しかった。飛澤栄三先生が前年の6月に亡くなられて、藤田英雄監督(14期)も波田正則部長もとにかく結果を出そうと必死だったから本当に恐ろしかった。『こんな練習をするなら甲子園へ行かなくてもいい』とすら思ったものです。『勝たなくてはいけない』という重圧もありました。でも練習が本当に苦しかったから、試合での重圧なんてまったくありませんでしたね」
「札幌地区の組み合わせも南北海道大会もこう言ってはいけませんが、恵まれましたね。札幌光星と苫小牧東が潰しあうようなブロックでした」
1学年先輩たちに比べれ、いつも力がない、と評価されていた丹野さんたちの意地がこうした形で報われたのかもしれません。春季全道大会で優勝したあとも「あとはどうやって負けないか」を常に念頭に置いて練習をしたそうです。
今から40年以上前の北海野球部ですが、想像を絶する猛烈な練習の中でもそれぞれが考えながら野球をやる環境があったということかもしれません。
「2年のときにも甲子園へ行きましたけれどもちろん私はスタンドの応援です。3年の夏は50回記念大会ということで『青春』という映画も作られて、北海も入場行進しているシーンとかチョコチョコ登場するんですよ。まさか自分が背番号を背負って甲子園に来られるなんて思いませんでしたから」
書籍「北海野球部百年物語」の取材を通してたくさんのOBの方にお話を伺いましたが、丹野さんのようにずっと声も掛けられないような目立たない選手が背番号一桁を背負うサクセスストーリーは非常に新鮮でした。
野球が好きだから、という言葉だけでは片付けられない、その不思議な高校時代。
「2年の夏は監督がノックするそばでボールを渡す役割。その前はひたすら打撃投手。先輩に怒鳴られ、指定されたコースに投げられなければ容赦なく罵声が飛ぶ状態でした。最初はもうガチガチですよ。でもね、人間死ぬ気になればすぐに感覚をつかむものです。そしてノックの手伝いですからレギュラーになれるなんて夢にも思いません。でも同じような連中もいましたけど、そんな中でも私は本当に練習しました。レギュラーになれないけれど、何故か練習はやったんですよね・・・普通、2年の夏でそんな状態だったら練習しなくなるんですよ。だから今でもどうして必死に練習をやれたのか分からないですね」
2年の秋、藤田監督から「守ってみろ」といわれて初めてノックを受けた丹野さん。
「打撃投手をやっていましたから投げる(スローイング)のは絶対の自信がありました。問題はどう捕球するか。まずは絶対にトンネンルをしないように(笑)。本当ですよ、そうやってチャンスを生かしたんです」
こんなこともあったそうです。
「試合でエラーをしてしまって、下級生に代えられそうになりました。その選手が来たら『来るな!』って蹴飛ばしてベンチへ戻してそのまま試合に出続けました」
とんでもない話だと丹野さん本人も話します。
確かにとんでもない話ではありますが、私には素晴らしい話にも聞こえます。
もしかしたら監督は「きっと丹野は追い返すだろう」って分かっていて交代を命じたのかもしれない、なんて想像が出来てしまう、何ともいえない男子校の厳しさと男気を感じてしまいます。
ところで丹野さんはなぜ藤田監督に「守ってみろ」と声を掛けられたのでしょうか。
藤田監督はすでにこの世を去っているため真意は定かではありませんが、色々なOBの方から話を聞くと
藤田監督はそういった抜擢をする傾向がある指導者だったようです。丹野さんもそのことを話し、その上で
「やっぱりずっと打撃投手をやって、バットも振り続けていたからでしょうね」
きっとそのとおりでしょう。でも私はさらに、まともに練習もさせてもらえない中で黙々と諦めずに練習をするその姿に、精神的な逞しさを監督が感じたように思うのです。
「チャンスをもらったと言っても競争は激しいし、同期も、後輩たちも横一線。絶対にこのチャンスを逃すか、という気持ちで毎日必死でした」
ある丹野さんの後輩にお話を伺う機会があったのですが
「まさか丹野さんが試合に出られるなんて思わなかった」
というくらい、2年夏まで下積みに耐えてきた丹野さんなのです。
さて、今日はここまでにしましょう。明日以降は丹野さんの甲子園、そして指導者時代のお話を紹介します。
7月5日 丹野悟さんのリクエスト
1.ブルーシャトー(ブルーコメッツ/高校3年の時の大ヒット曲。GSブームも球児には関係なく。
2.夜明けのスキャット(由紀さおり)/大学時代に試験勉強中にラジオから。心落ち着けて勉強に励んだ曲。
3.恋の町札幌(石原裕次郎)/「自分の大好きな曲」と丹野さん。カラオケも歌っているのでしょうか。
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★お知らせです。
来週 7月12日のゲストは 大友 一幸さん(26期・昭和48年度)
「悲運をバネに奮闘した26期の仲間達」をテーマに送ります。
軟式野球部の札幌地区予選も12日が初戦(北嶺戦)です。麻生球場へ応援に行きましょう!
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