アハマド・トゥーソンをさがせ!!
以前書いたアハマド・トゥーソンについての続編になります
『まるで女の子みたいな』 http://amba.to/xN1nWI
アラビア語・英語で他の画像を探しましたが、これしか出てきませんでした
享年23歳、美しいひとは夭逝する運命なのでしょうか
アハマド・トゥーソンを簡単にご紹介します
彼はムハンマド・アリーの次男坊。
アラビア遠征司令官として活躍。
遠征出発は17歳のとき。
そして、結婚もして、子供を1人もうけています
遠征中、病死。
以前のブログを書き、アハマド・トゥーソンに関する場所を探しました
まずはガウハラ宮殿でしょ~
とムハンマド・アリー・モスクへ足を運びました
彼の司令官任命式があった場所を見たくて見たくて
彼の父、ムハンマド・アリーがその任命式に400人のマムルークを招待し、大虐殺を行ったといわれる場所なのです
現在、リニューアルのため、閉鎖中
(いつ開くか未定そんな施設が多いです、カイロ)
ガウハラ宮殿の場所は入場して、歩いて3分ほどでしょうか、左側、奥まったところに見えます。
外観はこれが宮殿と思われるほど、とにかく地味
それよりも、道の反対側でやっているファラオ・コスプレができる写真撮影のほうがずっと気になります
これまで中へ入ったことがないので、リニューアルオープンが待ち遠しいです。
追記:ガウハラ宮殿で、400人のマムルークの大虐殺が行われたとお伝えしました
どうやら、式が終わった後、帰り道、マムルークたちが、宮殿から門へ向かっている最中に、外門を下ろしたまま(閉じ込め)、上の写真にも見える、規則的に並ぶ四角い穴から、弓か銃かは分かりませんが、狙い撃ちだったようです。
失礼しました。
シタデルの惨劇と言われているようです。
その様子。 (ウィキペディアからお借りしました。)
マムルークが殺害されていく隣で、涼しげな様子のムハンマド・アリーが描かれています
そして、完璧、野外ですね
アハマドはこの状況、パパと見ていたのでしょうかね
そこで、他にゆかりの場所がないものか探しました
ネットで調べても、出てきません
・・・となれば、お墓です
お墓の場所を調べました
歴史上の人物で気になる人ができると、その人のお墓へ行きたくなります
お墓からその人物のたたずまいを感じられる気がするからです
お墓を見ると気が済むというか死を確認したい
いえいえ、メメント モリ
ただの墓好きですさて、行くぞと鼻息荒く
ジゾさん(会社の上司です)にその話をすると
『○○さん、ひとりではイケマセ~ン 』
なんで
なんでも、エジプト人でも知らない人が多い場所の上、庶民街にあるので、危険だという話でした。
ごもっとも
というわけで、地元っ子ジゾさんの案内で行って来ました
アハマドのお墓があるのは、ムハンマド・アリーの家族が眠るお墓コンプレックス内にあります。
ジゾさんが言ったとおり、ここは、1人では来れない、行きたくない場所でした。
庶民街を抜け、現代のお墓が点在する中にあるのですが、お墓参りの習慣がないエジプト、ひとの通りが少なく、野良犬が多く、墓守は目が鋭く、わたしは外国人
ジゾさんがいたので平気でした
なんだか、ロシアみたい外観から心躍りました
内部の様子は次の機会にあらためて、ご紹介することにして、今回はアハマド・トゥーソンのお墓にスポットをあてます
説明ではドーム天井部分はロータスをイメージしたとありましたが・・・・はて
アハマド・トゥーソンの死因については、ウィキペディア『ムハンマド・アリー』 http://bit.ly/r5mbbJ
で、彼はアラビア遠征の最中に病死したと書かれていました。説明をしてくれたひとの話では戦いの最中、もしくは、ナイル川の警護中溺れて亡くなったという、2つの死因があるといわれているようです
アラビア遠征に行ってたのに、里帰りの際にナイル川の警護はしないのでは
ブロンズの囲いがあるアハマド・トゥーソンのお墓
きのこの山のような、シャー(機動戦士ガンダム登場人物)の後姿のようにも見える・・・あれは
この部分、その人物の頭部をあらわしています。
彼はアラビア遠征の司令官をしていました。
軍の司令官帽になります。(帽子というより、冑のようなものでしょうか)
彼の廟の隣で眠る奥さんはトルコ人で、名前はマフーシュ・カーデン・ハーネム。
トルコ人と聞き、『なんで、奥さんはエジプト人じゃないの』
な~んて、訳の分からないヤキモチを焼いてしまいましたが
そもそも、彼がエジプト人ではないのですね
ムハンマド・アリーはアルバニアかマケドニアの出身といわれています
奥さんの頭部は可愛らしい花がほどこされた帽子でしょうか
淑女な雰囲気があらわれていると思いませんか
夫婦が同じお墓ではないのですね。
現代も家族の墓は1つですが、内部は男性・女性の部屋に分かれており、埋葬は別々です。
いま気づきましたが、奥さんのお墓の方が大きい
廟とほぼ同じ高さの奥さんのお墓。
なぜだろう
アハマドが20歳の時に出来た息子はアッバース・ヒルミー(享年41歳)
彼の追跡はすっかり忘れていました息子のお墓もどこかにあったと思われます。とにかくたくさんあるのです
久しぶりに心ときめいた
歴史上の人物アハマド・トゥーソン
夭折したためか、残っている画像が圧倒的に少ないこと、2種類の死因があるとされていること、奥さんの国籍、名前まで分かりました。
自己満足
ちなみに、このお墓コンプレックス内でブロンズの囲いがあったのは彼だけでした
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