人は「理屈」という言葉に、しばしば冷たさや非情さを重ねてしまう。
けれど本来の理屈とは、感情を否定するための武器ではなく、世界の仕組みを静かに照らす〝透明な構造〟なのです。
◆ 理屈とは、本来どんな言葉なのか
「理屈」という言葉には、本来こんな意味があります。
・ 物事の道理・筋道
・ 理由づけの体系
・ 説明のための論理構造
つまり理屈とは、世界を理解し、説明するための枠組みです。
冷たくも温かくもない、中立の道具。
ところが日常会話では、「理屈」という言葉に感情的なイメージを重ねる人が少なくありません。
・ 理屈=冷たい
・ 理屈=非常
・ 理屈=融通が利かない
こうした印象が先に立ち、言葉そのものの価値が曇ってしまうのです。
◆ なぜ人は「理屈」を嫌うのか
多くの人のコミュニケーションは、感情・関係性・空気・暗黙の了解などが複雑に絡み合っています。
その中で「理屈」は、ときに感情を飛び越えてしまう。
その瞬間、〝正しいけれど嫌われる〟存在になりやすい。
私が「なぜそうなるのか?」と構造を知ろうとすると、返ってくるのはこんな言葉でした。
・ 「理屈っぽい」
・ 「理屈ではそうだけど…」
・ 「あなたは冷たい」
・ 「理屈で心は測れない」
しかし私からすると、
「お気持ちで世界の構造が理解できるなら、誰も苦労しないだろう」
という感想しかありません。
◆ 私にとっての「理屈」とは何か
私にとって理屈とは、次のようなものです。
・ 世界を理解するための透明な構造
・ 感情に流されない安定した基準
・ 自分を守るための境界線
・ 思考の自由を保証する道具
つまり理屈とは、今を知り、未来を照らす道具なのです。
ところが多くの人は、理屈を「態度」として受け取ってしまう。
・ 理屈=論破
・ 理屈=支配
・ 理屈=感情の否定
この思い違いが、理屈の価値を不当に低く見せてしまっているのです。
◆ 理屈の源泉となった、幼少期の体験
私が「理屈=自然界の秩序」と理解したのは、小学1年生の頃でした。
場所は瀬戸内海・大阪湾。
● 夏の終わり、海が“死ぬ”瞬間
・ 8月中旬、動物性プランクトンの大量死による赤潮
・ 海底の酸欠で、底モノの魚が海面に浮上
・ 海の匂いが変わり、人々が魚を求めて海岸に集まる
海辺は、一年に一度の自然の大イベントで賑わいました。
● 秋の始まり、海が“再生”する瞬間
・ 9月下旬〜10月上旬、強い台風が1〜2回上陸
・ 海底がかき回され、濁った海が一気に浄化
・ 台風一過の静かな海は、秋の気配をまとい、元の美しさを取り戻す
私はこの「死と再生」のメカニズムを、目の前で見たのです。
そのとき初めて、
自然界の仕組みを一言で表す言葉が“理屈”なのだ
と理解しました。
◆ 理屈とは、死と再生の物語である
自然界は理不尽です。
理屈もまた理不尽です。
しかしその理不尽さこそが、悠久の時間の中で豊かな海を育み、豊かな大地を育ててきた。
人間が感動する景色も、自然界の理不尽から生まれたものです。
だから私は、
理屈とは自然界の秩序であり、死と再生の物語である
と理解しています。
◆ おわりに
理屈は、感情を否定するための武器ではありません。
世界の構造を照らし、私たちが迷わず歩くための灯台です。
あなたにとっての「理屈」は、どんな風景を照らしているでしょうか。
理屈を嫌う社会の中で、あなたはどんな秩序を信じているだろう。
感情ではなく構造で世界を見る姿勢。