月曜日。
AM.08:00頃。
『おはようさん。おせわになります。』と老人Bが家へ来ました。

親父:『朝飯は食うて来たんか?』

老人B:『いいや。食うてない。』

私:『Bのオッチャン、パンと、おかいさん、どっちがええ?』

老人B:『すまんねんけど、≪おかいさん≫で頼んます。』

私:『もう一寸、待ってなぁ。もうすぐ炊けるから。』

老人B:『へえ。へえ。』

おかいさん、を蒸らしながら、

私:『Bのオッチャン、ごめんやけど、菜っ葉ものは漬物で我慢してな。』

老人B:『かまへん。かまへん。食わしてもらえるだけで有り難いこっちゃ。』

おかいさんを鍋ごとテーブルに運び、茶碗と箸、塩鮭の切り身の焼いたのと漬物をいろいろ並べた皿と銘々が取って食べる皿をテーブルに運んで、私は自分の食べる、まーるい、外側の固いパンを焼いた。

親父:『Bやん、待たしたなぁ。早、食べいよ。』

老人B:『御馳になるで。』

親父:『俺の家で飯を食う時は、「いただきます。」や。』

私:『いただきます。』

老人B:『石やんトコは「いただきます」っちゅうんか。』

私:『どこの家でも「いただきます」と言うてるで。』

老人B:『堅気の衆は、そない言いうんかいな?』

私:『うん。』

老人B:『堅気の衆と付き合うたことがないよってなぁ。ワシには分からんことらだけや。』

親父:『俺と、あんた(老人B)との付き合いは、そんな短い事ないやろ?』

老人B:『石やんは、その後、足を洗うたんやろ?』

親父:『俺はもともと気質やがな。』

老人B:『ええ? 新開地で豪い鳴らしとったと聞いとんで。』

親父:『昔は今と違うて港町で船舶関係の仕事をするためには新開地で名前を売らんかったら何一つ事を進められん時期があったんや。』


老人B:『ほな昔から堅気かいな?』

親父:『俺は昔も今も堅気や。』

老人B:『けっ!あいつは、ワシに嘘ばっかり教えやがったんけ。』と独り言を言った。

親父:『「あいつ」て誰や?』

老人B:『民生(委員)のオバハンやがな。あのオバハンが「石やんもワシらと同業や。」と触れ回って取ってんがな。』

親父:『悪質やな。今は素行の悪い奴しか民生委員のなり手がないんかいな?』

老人B:『その辺のことは、よう知らんけどな。あのオバハンは質が悪いわー。』


私が小さな丸いパンを焼いて齧っていると・・・・

老人B:『姉ちゃん、そんな固いヤツを齧ったら歯が折れるで。』

私:『大丈夫やで。いっつも焼いて食べてるさかい。』

老人B:『左様かー。若いんやなぁ。せやけど、この鮭は旨いなぁ。大きいし。こんな大きい鮭(切り身)を何処で買うてくるんや?』

親父:『東部(卸売市場)へ行ったらナンボでも売っとんで。今朝、東部(卸売市場)へ行ってアラスカの沖獲れの大きいヤツを1匹、買うてきたんや。』

老人B:『まるまる1匹かいな?』

親父:『ああ。まるまる1匹を半分に割って貰うて家で好きな大きさに切ったんや。』

老人B:『旨いわ。ごっつぉはん(ご馳走さん)。』

この後は3人で黙々と食ってました。

後片付けをして、

B老人がお茶を入れてくれて一服してから親父は帳簿付けを始めた。

私は伝票整理をして日付と項目ごとに分けて、老人Bにホッチキスで止めてもらってました。
これがB老人の仕事でした。

B老人は退屈だと言っていたけれど、親父は『家に居れ!帰ったら日当を払わへんど。』と言って老人Bを足止めしておりました。

私は約束の時間が近づいたので文具店へ出かけました。

短時間でしたが老人Bにとっては【行】をしているように長く感じられたそうです。

退屈なものだからゴロ寝をすると、親父が『寝ころんだらアカン。起きとき!退屈やったらテレビをつけて見とき。』と言ってテレビの電源を入れてくれるんだけれど・・・・B老人にはテレビというモノが、それほど面白いものとは感じられなかったそうです。