私はソウメンを作っていた。
親父と老人Bは話をしていた。
親父:『あんたも何で突然、生活保護を打ち切られるようなことになったんや? 俺もあんたの家で麻雀をやっているときに何回か民生委員のオバハンを見たことがあるけど、今も、あのオバハンが民生委員をやっとったんと違うんけ?』
老人B:『ええ?石やんトコは別の民生委員が来るんけ?』
親父:『何で家に民生委員が来んとあかんねん?』
老人B:『石やんトコも生活保護で食うてるねんやろ?』
親父:『なんで俺が生活保護で暮らさんとあかんのや?ちゃーんと仕事を持ってるのに。俺は生まれてこの方、生活保護で暮らしたことなんか一辺もないで。誰や、そんな事を抜かしてる奴は?』
老人B:『石やんも知ってる、あの民生委員のオバハンが『「あの人(親父)のトコも私が世話をさせてもらってるさかいなぁ。生活保護を貰うてないような顔をしてるけどシッカリ貰うとってやねんで。あない生活保護を貰うことを人に知られるのが恥ずかしかったら返上したらええのになぁ。ははははh。」と言うて笑うてたさかいな。民生委員のオバハンが言うことやさかいワシかて石やんトコも生活保護を貰うてると思うがな。』
親父:『それは何時頃の話や?』
老人B:『そない言うたら最近やなぁ。石やんの噂話が出始めたあたりやったなぁ。』
親父:『ふーん。ほんで、あんたとこの生活保護が打ち切られたんは何時やねん。』
老人B:『石やんの噂話の出所を探りよって、お上(お巡りさん)のお世話になって石やんに迎えに来てもろうた。そのあくる日に、いきなり、「私らの世話ならんと生きてゆかれんような年寄のくせに、よくも私らに逆らうてくれたなぁ!只今から生活保護を打ち切ったるさかいな。仏罰や!」とゴッツイ剣幕で怒鳴り込んできたんやで。』
親父:『生活保護を打ち切るにはそれなりの理由や事情があるやろ?聞いたんか?』
老人B:『ワシが「生活保護を貰うて賭けマージャンをやってる。と申告しといたさかい。もう二度と生活保護を受けることはできひんさかいなぁ。はははは仏罰が当たったんや!はははは」とぬかしやがった。ホンマに腹が立つわ!』
親父:『おかしいやないか?あんたが賭けマージャンでコズカイ稼ぎをしてるのんは二十何年前から知っとるはずやんけ?』
老人B:『そうや。二十何年前から民生委員のオバハンが台の上で金を広げてあったかて「かまへん。かまへん。誰も見てへん。見てへん。大丈夫や。」「変わりはおませんか?変わりがなかったら、それでええさかい。ほな帰りまっさぁ。」と言うて、こないだまでは言うてくれよってんけどな。』
親父:『あの民生委員のオバハンは、そない言うても目こぼししてたわなぁ。』
老人B:『石やんも何回か見てるやろ?』
親父:『そもそも、あの民生委員のオバハンと何処で知り会うたんや?』
老人B:『知り合うたも何も、あのオバハンが家へ来て、「創価学会に入ってくれたら生活保護が受けられるように、ええ按排にしたるから創価学会に入ってぇな。」というから入信したんや。』
親父:『ほんで、あんたも朝晩、大きな声を張り上げて拝んどんけ?』
老人B:『そんなもん、するかいな。ワシに信心てなもんがあるわけないがな、そんなもん(信心)があったら、こんな生き方をしてへんで。』
親父:『そらそうやわなぁ。』
老人B:『毎週、座談会に来てくれ言うたら行ったりよったし、何所かで大きな会合があるから来てくれと言うたら行ってたのにから。それが突然に生活保護を打ち切るっちゅうて来たんやがな。』
親父:『それまで、ずーっと、その(民生委員の)オバハンの言うことを聞いてきたったんけ?』
老人B:『せやがな。』
親父:『俺らに関わらんと知らん顔をしてたら何事もなく過ぎ去ってたのになぁ。何で首を突っ込んできたんや?』
老人B:『そら数少ない友達やさかいなぁ。ワシかて大事にしたいがな。』
親父:『そら有りがたい事やけどなぁ。先に自分のことを考えてからにした方が良かったんと違うか?』
老人B:『心配してくれるのんは有り難いけど、初めから、あんなオバハンやってんやって知ってたらワシの方から断ってたで。ワシかて自分が若いころから、どんな生き方をしてきたか分かってたさかいな。歳とって手も思うように動かせんようになった時には野垂れ死にすることを覚悟してきたんやさかい。』
親父:『その覚悟があるのやったら家で「お茶くみ爺」しながら、そろっと息していくか(生きてゆくか)?』
老人B:『ほな石やんに甘えさせてもらうわなぁ。』
親父:『朝、早来たら朝飯もあるさかい。来れたら出てきなはれ。昼もご馳走はないけど、うどんか、ソバくらいは作るさかい。夕方まで居ったらええがな。』
老人B『おおきに。そないさせてもらうわ。』