創価に組織的に追い詰められて首つりジ サツして果てた壮年の男性がいました。
その方も創価の信者でした、その当時、創価の地区部長兼支部長をしていた方でした。

その方は創価の悪質な弱い者い虐めを改めさせようと動いたことによって、創価という組織に追い詰められ逃げ場を失い死んでしまいました。

その方が亡くなる少し前に家に来て悔し泣きしながら、
『自分たち夫婦が寺の門番のつもりで居ったんやけど、自分がそう思うてただけで本物と違うかった偽物、周りにおだて上げられて自分たちが勝手に寺の門番やと思い込んでただけやった。

本物の寺の門番はあんたら親子やった。モモンちゃん、あんたが門番の『あ』やねんで!お父ちゃんが「あ」と違うんやで。お父ちゃんは『ん』なんやで。私もあんた等の話をあちこちに聞いて回って裏をとってみて、よく分かった。

あんた等やったんやな。上木はんや、履物屋の小母さんや、天野はんとこの息子はんやら、昔、貧民長屋で泣いてた人等に手を差し伸べてたんは、隣町の中学生がチンピラにならんように守ってたんはモモンちゃんやったんやてなぁ!おっちゃんは、あんたに恥ずかしいて穴があったら入りたいわ。それだけが言いたぁて夜が更けるのをまって来たんや。』


親父は、『あれ等(=創価の信者)に見つからんように上手に身を隠すんやで。』

その当時、創価の地区部長兼支部長をしていた方:
『分かってる。おおきにな。ほな行くわ。もう二度と会うことはないと思うと名残惜しいなぁ。手放しとうないご縁や。創価なんか信じるんやなかったー!考えただけで腹が立つ!』


親父:『創価を信じんかったら俺らと出会うこともなかったで。全部が悪いもんやないんと違うか?』

その当時、創価の地区部長兼支部長をしていた方:
『ほんまやな・・・・名残惜しいけど、ここでお別れします。今日まで、ありがとうございました。』と言って姿を隠しました。