ネット検索したら
岡田有希子さん『ザ・プレミアムベスト』
が去年発売されていました。
(発売されてるの知らなかった)
シングルAB面コレクション完全版
更に9枚目のシングルとなるはずだった
「花のイマージュ」や、2002年にオーケストラ・ヴァージョンで甦った「Believe In You」も収録。
最新(同)のデジタル・リマスター盤。
収録時間: 133 分
岡田有希子
『ザ・プレミアムベスト』シリーズ。
Disc.1と2(オリジナルカラオケ)
01.ファースト・デイト(2:53)
02.そよ風はペパーミント(3:20)
03.リトル プリンセス(3:09)
04.恋のダブルス(2:59)
05.-Dreaming Girl-恋、はじめまして(3:36)
06.気まぐれTeenage Love(3:45)
07.二人だけのセレモニー(3:34)
08.PRIVATE RED(3:15)
09.Summer Beach(4:20)
10.星と夜と恋人たち(4:44)
11.哀しい予感(3:42)
12.恋人たちのカレンダー(3:39)
13.Love Fair(3:35)
14.二人のブルー・トレイン(3:18)
15.くちびるNetwork(3:54)
16.恋のエチュード(4:02)
17.花のイマージュ(4:07)
18.Believe In You (2003 Strings Version)(4:31)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/岡田有希子
岡田有希子さんとか、ほか
80年代のアイドル曲とか
今でも自分は聴いたりする
昔のアイドルの曲
スタジオミュージシャン
凄い人ばかりが演奏してるし♪
今だとネットで昔の曲とか
視聴出来るから、その音楽を
聴くと当時にタイムスリップした感じになる
自分はAll Songs Request
ベスト持ってるから、どうしょうかな~と
思ったけど買いました♪
![]() | ALL SONGS REQUEST 2,400円 Amazon |



昔発売したCDって(発売当時)
レコードメーカーによって
音量レベルとか違う
この
ベスト買うきっかけは
岡田有希子さん
がレコーディングで
使用したオケ(カラオケ)
収録だったから
このカラオケを聴きながら
レコーディングしたのかと
思うと何か
ユッコ気分を味わえます
(ガイドメロディー等は含まれておりません)
バスドラのカウントとかも入ってる
自分はMacに取り込んで
CDを聞いてるから
音質はあまり、気にしないけど
今回デジタル・リマスターで
All Songs RequestのベストCDよりは
断然に音が良いです!びっくり
岡田有希子さんを知らない方は
これを買えばいいかも~♪
名曲
揃いで!今でも聞ける!
B面に名曲が
いっぱいあるし♪
80年代曲って
作詞、作曲、編曲
してる方も凄い!
岡田有希子さんに
作詞、曲、アレンジを
提供してる方
凄い人ばかり♪竹内まりや さん、小室哲哉さん、
山川恵津子さん、坂本龍一さん、EPOさん、松田聖子さん、
尾崎亜美さん、山口美央子さん、田口俊さん、康珍化さん、
馬飼野康二さん、松任谷正隆さん、清水信之さん、
大村雅朗さん、萩田光雄さん、他
最近だと中川翔子さんが
くちびるNETWORKのカバーしてるし
今でも
岡田有希子さんの楽曲を好きな人は多いかな
また
さんみゅ~ と言う
岡田有希子さんの後輩アイドルが
くちびるNetworkで最近デビューしたみたいです
岡田有希子さんは
1984年4月21日に
ファースト・デイトでデビュー
作詞・作曲:竹内まりや/編曲:荻田光雄
気まぐれTeenage Love
作詞・作曲:竹内まりや/編曲:荻田光雄
めちゃ好きな曲
デビューして3年
18歳
ポスト松田聖子さんとも言われていました
自分が岡田有希子さんを
知ったのは(~たぶん)
テレビ東京
『ヤンヤン歌うスタジオ』
アイドル番組やCM、当時、いろんな歌番組などに
出ていて知った気がする
レコードも買った♪
岡田有希子さんのショートカット
(本人はショートカット嫌いだったみたい)
めちゃ可愛くて~自分は好きだった♪
今だと
少女時代のユナさんに自分は少し似てるかな?
と思う
80年代の昔って
毎日のように、いろんなテレビ放送局で
歌番組が放送してた時代♪
くちびるNetwork
8枚目のシングル
1986年1月29日
キャニオンレコード
作詞:松田聖子 作曲:坂本龍一 編曲: かしぶち哲郎
聖子さん自身、他の人への作詞提供は
初めて(後輩の有希子さんに)
「内容があまりに色っぽ過ぎるかと思ったが
有希子ちゃんが
歌うとかわいらしく艶めいた曲になった」と述べてます
カネボウ化粧品
「レディ80BIOカラーネットワーク」
「86年春のバザール」CMソング使用
オリコンチャート1位を獲得
これが最初にして最後であった。
この曲の大ヒットで岡田有希子さんの
人気は絶頂期を迎えるがリリースから
2ヶ月後の
1986年(昭和61年)4月8日(火曜日)に
お昼過ぎに(12時15分)
岡田有希子さん(18歳)は
ビル屋上(サンミュージック)から投身自殺を遂げる。
そのため生前最後のシングル曲となりました。
1986年(昭和61年)と言えば
当時、自分は14歳
中学1年生で
小学6年から中学1になったばかり
小学校の延長的な感じだったけど。。
今でも憶えてる
自分の記憶では学校が開講記念日か何かで
休みかなんかで、午前中授業だったかで?
自宅のテレビで、フジテレビの
「笑っていいとも」のテレビをつけてて
緊急ニュース速報のテロップで
歌手の岡田有希子さんが自殺しました
とか出て
え?え??何?何っ?
ほんと?!!
びっくり、したのは今でも憶えています。
自分の中学校でも
翌日に大騒ぎになったから。。
自分は
年代は違うけど
岡田有希子さんと同じ
堀越高校に入学
自分達が卒業する時に
◯◯先生が
3年生在校
生徒を集め
岡田有希子さんが
生前在籍時に書いた
卒業にあたっての作文を読んで聞かせてくれた。
先生は、
自殺をするような子じゃないと
涙を浮かべながら
読んで聞かせてくれた気がする
(作文の内容は忘れました)
岡田有希子さんの自殺の真相
いろんな噂など、ありますが。。。
何が真実で
どれが嘘?本当?
事故なのかも?
自殺未遂したのは、自分自身で本当。
だったと思うけど。
自殺じゃないかも?
(マインドコントロール?)
ビルの屋上には大きな看板があるので
当時のビル
(そこから飛び降りは)
赤い看板の隙間から飛び降りた?
事件当時
四谷警察による現場検証で
屋上7階の150cmの囲い
落下防止の鉄柵を登り越えて
右角から30m下に落下したと見解を出しました。
報道された
普通に考えて、数分では
無理だと思いますが。。?
誰にも、真実はわかりません。。?
夜遊びしナイト! 最終回
1986年4月6日放送の2日後に自殺って。。
ただ
今、思うと
亡くなる1週間前の行動とかだけで
自殺とは考えにくいかも?
一般的な報道では
某俳優(峰岸 徹さん)との失恋で?
自殺とされていますが。???
亡くなる前の1985年
高校3年の時に
精神的な調子を崩していき
北海道の修学旅行した際の手記に
「1人でいると気が狂いそうになるくらい
情緒が不安定の私にとって癒しになります」
と
また、その年の、年末に出演した
1985年12月
生放送のスーパージョッキーで
歌(LOVE FAIR)の途中で、急に笑い出し
その後のトークでも「頭の中で声がした」
と言い出し、かなり。精神的に疲れていたと思う。
殺人的なスケジュールで
(1日の睡眠時間3時間)
無理して仕事していたのかなと。。
人は睡眠をとらないと幻覚など、みるし、オカシクなるので。
また
鬱があった?(鬱が激しいみたい)
福田専務が
「ええ、ありましたね…」
と
「あのォ、最近はないんですが…。
そういう部分では、
すぐ考えちゃう所のある娘だっ たからね…
そういう意味では
僕たちにたいしてもあんまり自分を(の事を)
話してくれないという所があったり…」
と
文学少女だったので
妄想などで
もう1人の自分を作り(生み出し)
日記に、いろいろと書いて
現実から逃避して
いたみたいです。。
本人は限界をこえていたかも
(精神的にも肉体的にも)
休み無し、長時間の労働は、うつになる。
長期の休みが必要だったと思う
ホンマでっか!?の池田清彦先生も
言っていますが
人間って、ずっと寝ないと
わけのわからい事を言い出すと言ってます。
寝ないと脳の整理が出来ないし
人それぞれ、その日、その日で
体調が違うし。
1986年
亡くなる2週間前ぐらいの
スーパージョッキー公開放送では
他のアイドルが歌ってる最中
岡田有希子さんは
ステージ端のテーブル席で
じ…っと下を向いていたとかの証言もあるみたいです。
今、思うと
普通ではない状態です。。
1986年4月6日放送
たけし軍団!!ヒット&ビート
くちびるNetwork、歌ってる映像とか見ると
(スタジオ録画)
そうとう疲れてるのがわかる。。
表情に元気がない気がする。。
マネージャーさんとか
見て、おかしいと思わなかったのかな?と思う。。
かわいそう。と思った。。
元気だった
某有名アナウンサーも、とある場所に行って
体調崩したし(心の病)
仮面ライダー電王に出てた
某女優さんも、多忙な
急がしさで、降板し芸能界引退?
某、芸人さんも
頭ぱっかんして
もう、限界で休んだし
芸能界に戻れないと思ったと語ってる
岡田有希子さんは
仕事が徐々に忙しくなり
過密なスケジュール
点滴を打ってコンサートしたなど
1日20時間も働いていた
人の5倍、努力してたみたいです。
当時、彼女は若いから
無理していてたと思う。
自分で限界を知っていて
それを無視して仕事をやり続ける
結果、おかしくなる。。
(過労うつ病)
デビュー以前から書いていた
岡田有希子さんの日記には
心境の変化で
お母様に初めて弱音を吐き始めたりしてとか
主演ドラマの撮影が始まり
睡眠時間が2~3時間(無い状態)で
過労でダウンし入院
他
ドラマ(女優の仕事など)でやっていこうと矢先に。
売れっ子だったから、多忙で
精神的な疲れ。他、
今では、うつ病と病名あるけど
昔では、そのような
言葉や病名なかっただろうし?
責任感の強い人ほど、うつになる
誰でも、なる可能性があるし
うつ病による自殺も多いとか
自分の友人も、それになり、何年も苦しみました。
男性と女性では
うつになるのは女性が多いみたい。
(年齢に関係なし)
同じストレスを感じても
うつになる人と、ならない人がいる。
丈夫な人はストレスを感じても平気みたいです。
精神科医さんの目から見ると
自殺と思ったものが、うつ病と指摘
うつ病は自殺と密接な関連がある
と精神科医さんは言ってますが。。。
事故から25年以上たってるし
当時の事を、知ってる人は
どれくらい、いるんだろう?
岡田有希子さんは
真面目で頑張り屋さんだった
普通に考えて
高校を卒業後の
数週間ちょっとで、自殺をするかな?
自分の時代の時は2月18日
卒業式だった。
一人暮らしを初めて4日目で??
自殺に疑問?って
思ってる人も多いと思います。
1986年
4月8日の亡くなる
午前中にも自殺を図っていた?
亡くなる直前の出来事
1986年4月4日(金)
成城の社長宅から引っ越したばかり(4月4日に)
東京の南青山のマンション4階(2DK)で
(有希子さん1人暮らし)
テレビ朝日の「歌謡ドッキリ大放送」に出演。
1986年4月5日(土)
渋谷公会堂で“ハートジャック・コンサート”を行う。
その中で、ファンに“失恋”という詩を披露
1986年4月6日(日)
地元・名古屋市民会館でコンサート。
これがラストコンサートに
19時に実家に戻り
20:53の列車で母と別れる。
1986年4月7日(月)
19:00
渋谷パンテオンで開かれた「ロッキー4・炎の友情」の
試写会に出掛け女性と一緒。
マスコミの取材を受ける
20:30終映。
21:00~22:00
南青山の自宅に帰宅して
ガス自殺の予行演習のものをしたと言う??
ガス臭い匂いがマンション中に広がり
騒ぎに?しかし、すぐにおさまった
22:00
その頃、溝口マネージャーから電話で
テレビドラマの収録開始が
1日延びたことを知らされる。
「あらー、残念ねぇー」と言っていたという
(声も非常に明るかった?)
23:00
さらに彼女の友人がTEL
23:30
タレントの石野陽子さんがTEL。
4回ほど鳴らしたが出なかったので切る。
その期間の間に外出??
彼女はタクシーで成城に向かい?
そこに住む峰岸 徹さんの自宅前で一晩
(玄関前に立って??)
一人寂しく過ごしていた???
1986年4月8日(火曜日)
午前5時20分頃、
成城でタクシーを拾い
(東京駅の八重洲口に向かう)
東京駅を目前にした東京都庁わきの
工事現場前で降りる。
八重洲口の手前で車を降りた
彼女は泣いていた??
そして、1人住まいのマンションに帰った
早朝、南青山にある
自宅マンションの室内で
有希子さんは(1人で)
手首でカッターを切り
ガス栓を開いた。
AM9:00時過ぎに
ガスの臭いに気づいた
6階マンションの住人が
管理人に4階がガス臭いと
管理人や住人が
4階の有希子さんの部屋を訪ねて
声をかけたが反応がないので
AM10:09に
110番で通報し
赤坂消防署に救急車の出動要請が入り
AM10:16
緊急消防隊員と警官が南青山のマンションに駆けつける
有希子さんの部屋に入ると
ドアにはチェーンロックがかけられていたので
消防隊員によってチェーンロックが切断され
有希子さんは
ナイフで左手を切っていて
有希子さんは、押し入れの下段の中で
1人で泣いていたと言います
(自殺を計ったと思われたが
押し入れの中だとガスは来ないので
本気ではなかった??)
AM10:20に
マンション管理人から
サンミュージック総本部に
岡田有希子さんが
自殺を図り救急車で病院に運ばれたと連絡し
所属事務所の
福田専務と付き人の山崎さんが
電話を受け取った。
チーフマネージャー溝口さんは子供が
入学式だったため休暇
そして溝口マネジャーにも
携帯電話(当時は自動車電話です)
に連絡が入る
相澤社長は事務所
近所の歯科にて歯の治療を受けていたため
病院に駆けつけていない
AM10:33
有希子さんのマンションから
歩いて10分ぐらいの
北青山病院に毛布にくるまれ
救急車で運ばれ
左手首を4針縫う治療を受ける
(手首の裂傷がかなり深め)
落ち着かせる為に
精神安定剤が投与され
医師は意識が正常か
簡単な問診をして
生年月日、住所、名前
有希子さんは、ちゃんと
正常な受け答えができ
あなたの生年月日は?の問いに
シクシク泣きながらも
有希子さんは答えた
昭和48年8月22日…
次に現住所の確認
これにもキチンと答えた
指も動くので、担当医師が
ガス中毒反応も後遺症ないため
入院の必要はなしと判断されます
AM11:15
サンミュージックの
福田専務と山崎さんが北青山病院に到着し
有希子は一言も話さず
激しく泣き続けていた
(有希子さんは号泣するばかり)
(興奮状態で わんわんと号泣)
福田専務と山崎さんは
ガス自殺をはかったと聞かされただけで
手首を切った事は聞いてなかったみたです
相沢社長に今後の処置を尋ねようとしたが
社長は近所の歯医者へ行っていていなかった。
なので事務所へ
有希子さんは靴を
履かぬまま北青山病院へ搬送された為に
病院のスリッパを借り
有希子さんを
タクシーに乗って
サンミュージック事務所に連れ帰りました。
タクシー内で
運転手も居た事などから?
有希子さん、総務、山崎さんの3人は終始無言
有希子さん
はすすり泣きを続けていた?
その後に
入れ替わりで
北青山病院に溝口マネジャーも到着するが
3人は、いないので
溝口マネジャーは1人でタクシーで
サンミュージック事務所に向かう
AM11:50
警視庁記者クラブに
有希子さんの
自殺未遂事件が報じられ
そしてマスコミ関係者に伝わる
PM12:00過ぎ
サンミュージックに着き
有希子さんはトイレに行きたいといった。
福田専務は山崎さんに
トイレの前で彼女から目を離すなと厳重に注意し
2人は戻ってきた。
そして
3人は6階の社長室へ
専務、有希子さん、山崎さん、の
3人は
6階の社長室へ入った。
有希子さんは
病院で借りたスリッパのままです。
社長は、まだ帰っておらず
社長室には社長秘書が1人だけ部屋にいました
福田専務は自殺未遂については
何も触れず。
福田専務の
「まあ、いろいろ人生あるから、
皆がついているんだから頑張ってやれよ」
との励ましに、
有希子さんは、うなづく。
動揺を静めるために福田専務は
有希子さんに
食事でもと進めたが
有希子さんは拒んだ。
下を向いたまま、彼女は答えた?
(いや、何もいりませんと言った?)
じゃあ
コーヒーでも飲んで落ち着くかい?
(飲みもの、のコーヒーでも飲むか?と)
「何もいらない…」
(コーヒーも嫌だと言う)
それじゃ冷たいものでも飲もうよ
(じゃあ、冷たいもんでも飲んで気を落ち着けなさい)
と言うと
有希子さんはかすかに頷いた。
そこで福田専務は
山崎さんに
「何か冷たいものをとってよ。有希子は何がいい?」
山崎さんが代わりに答えた。
「ストロベリージュースがいいわよね」
無言の有希子さんに山崎さんは
彼女の好きなストロベリージュースを
取り寄せる事にした。
社長室秘書が1人で
近所の喫茶店に注文をしに外へ出た
PM12:10頃
社長室の
福田専務宛に
事務所へ急行途中の
溝口マネージャーから
電話が入ったため
有希子さんの目の前で
(本人の前では)
彼女の状況を説明する事ははばかれた為
福田専務が
席を外し
隣室に移り
(社長室へ転送してもらおうと思ったが)
福田専務は
社長室を出て隣室で受話器をとる
社長室には
有希子さんと山崎さんの2人きりとなり
どれが
本当かわからないですが
空白の出来事だったみたいです。
①有希子さんは山崎さんに
「ちょっとティッシュを…」と言ったので
山崎さんがティッシュを探すために
有希子さんから目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し
ビル内の階段で7階の上の屋上へ上がり
山崎さんがティッシュを探すほんの一瞬の隙に
有希子さんは社長室からいなくなった??
②有希子さんは山崎さんに?
「ちょっとティッシュを…」
ティッシュを取ってくると言って!!
部屋を出ると屋上に向かった?
(屋上にかけ上がり?)
「ちょっと、ティッシュを…」
そう言った後に
有希子さんが姿をくらますまでの
「一瞬」は
関係者の証言でも「空白」となって るみたいです??
そして
山崎さんは隣室の福田専務の元へ行き
「有希子がいません!」と
電話は切られ
2人は有希子さんの姿を探した。
専務と山崎さんの2人は
6階から屋上へ向かう階段に
脱ぎ捨てられたスリッパを見て
有希子さんが屋上へ駆け登ったものと思った。
専務はすぐに屋上へ向かったが
屋上は大きな広告看板に遮られて
下を見ることが出来ない。
飛び降りる事は不可能だった。
(大きな看板があるので無理)
大きな看板の隙間から??
踊り場から?
飛び降り??
PM12:10分過ぎ
丁度その頃
溝口マネジャーは
タクシーで事務所に向かっていた
前方にはサンミュージックのある
四谷4丁目交差点
大木戸ビルがあり
信号待ちのためタクシーは停まっていた。
溝口マネジャーは電話を切った。
そのビルの屋上から人影が落ちてくるのが見えた
溝口マネージャーは
有希子さんが
落ちてくるのを(自殺)瞬間を目撃してしまった…。
(現場に居合わせた報知新聞記者によると
岡田有希子さんは顔下向き水平の形で地上に激突したという。)
PM12:40
四谷署に
警察の手で遺体到着
検視の結果、
自殺と確認された為、
司法解剖は行われなかったみたいです。
PM13:30
「大木戸ビル」六階の会議室で
相澤秀禎社長、
福田時雄専務、
溝口マネージャーの三人が記者会見。
PM20時8分
名古屋から駆けつけた
有希子さんの両親が四谷警察署で彼女の遺体に対面
PM20時41分
遺体とともに関係者は
四谷霊廟に移動。
この場所で彼女の仮通夜が行われた
1986年4月9日の夜
所属事務所の近くにある
新宿区四谷の大宗寺で
ファン達のための通夜が営まれた。
告別式は
通夜の翌日4月10日に
堀越高校近くにある中野区の宝仙寺で
社葬として行われました。
告別式が終わった後、
遺体は新宿区の落合斎場で荼毘に付された。
4月11日、
遺骨は故郷の名古屋に戻り、
名古屋市中区の
東本願寺名古屋別院でも告別式が行われた。
東京での告別式は、
所属プロダクション社長、
相澤社長が「お金はいくらかかってもいい」と
言った程の盛大なものであった。
また
有希子さんが
飛び降りた時に
悲鳴を上げてたって目撃者がいたらしく。。?
それにより他殺説
いろんな噂などがながれました
その当時、ス◯ーカーみたいな
いきすぎたファンがいて、アイドルが
付きまとわれて被害にあったり
自分の事を好きと
勘違いしているファンが多かったとか。。
その後も、後追いで
有希子さんが自殺した4月だけでも25人以上になり
(有希子さんが亡くなってから2週間で25人が後追い自殺)
社会問題になり
サンミュージックは
有希子さんに関する取材はしないと決定したみたいです。
2005年に
相澤秀禎元社長(現在は会長)が
1986年4月7日の深夜から4月8日夜明け頃
成城付近でタクシーを拾った有希子さんの
行動の一部を
『日刊ゲンダイ』にてコメントしてます?
(メディアで公言してます)
成城にある峰岸 徹さんの自宅前を
見つめて夜明けまで過ごしたとしている。
仕事の相談で同じ成城内の相沢社長宅に
出向いていたとも言われていますが?
有希子さんが仕事や
恋に悩み
精神疾患(うつ病)を患っていた事も事実
自殺する3日前に
社長の家に有希子さんは食事に来た。
なんとなく元気がないから
おまえが、これからうちの会社を
(サンミュージック)背負っていくんだから、
がんばらなきゃだめだよ
と言うと
私なんかもう、だめだから
のりぴー(酒井法子さん)が
いるじゃない
という暗い話をしだしたんです
と
僕を待っている間
朝の自殺騒動(未遂)について
僕に何か言われるのが嫌やで
屋上に言って飛び降りたんだと思ったんです。
ところが
彼女が残していた1冊の日記風のノートが発見されて
それを読んで自殺の真相が理解できました
そのノートには
相手の男性の峰岸 徹さんはもちろんのこと
彼女が峰岸さんを思い
そのことがうれしくて、喜ぶさま。
一方で、その恋は成就することがないと判断し
真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に
綴られていた
有希子は峰岸さんに恋焦がれて
プラトニックな愛を持ち続けて自殺したんです
??
何が真実かは
わかりませんが。。
恋した相手の名前も
お母様が
87年の一回忌の時に公表して
十七回忌を期に
相澤会長が『日記』の内容と
実名を公表
恋していた相手が
峰岸 徹さんであった事実を公言しています。
1度目の自殺未遂は
自宅マンションでガス詮を捻って
遺書(峰岸さんの名前入り)を用意しての
覚悟の自殺だったとか
遺書のようなもの(彼女が常日頃に書いていた日記)
茶色封筒の中にキャラクター模様の便せん3枚?
便せんには1枚には詩
もう1枚には心境が書かれてた
その中の1枚に十数行の言葉と共に名前が書かれていました。
暗号のような文が
順番ばらばらで書かれてあり
峰岸 徹さんと書かれていた事から
それで噂になりました
そして遺書のようなもの
は岡田有希子さんが病院に搬送された後に
警察署員によって発見され
有希子さんが
亡くなった(同日)
夜に峰岸 徹さんが会見を開いた時には
彼の名前が手紙の中に書かれていた事実は
既に警視庁記者クラブから彼女の自殺未遂の一報と
共にマスコミに知れ渡っていて質問をしています。
質問を受けた峰岸 徹さん自身には
恋愛感情がなかった反面で
有希子さんが恋心を寄せていた事を感じていた事実は認めています。
レポーター梨元さんも
なんで1回目の未遂の時に
すぐに彼女の所に駆けつけてあげなかったのか
と言っていました。
発見された遺書(日記)は翌日の密葬時に
警察署員からお父様に手渡されました。
相澤会長も
事務所に保管している日記の内容と
自殺する早朝までの彼女の行動を公表
峰岸さんへの思いと
その恋が成就する事はなく、
真綿で首を締め付けられる心痛を書き綴っている事
亡くなる前日の深夜に
成城の峰岸さんの自宅前に一人訪れて朝方
泣きながら帰宅していた事
彼女の最初の自殺動機は
峰岸さんへの思いも1つの要因だとか
しかし本気で死ぬつもりはなく
出血の少ない致命傷に至らない傷で
精神安定剤を投与された後に
入院の必要無しと医師からの診断によって
本人の意思で自宅マンションに
は帰らずに事務所に行きました。
事務所に着いた
岡田有希子さんは「もう終わり」と
スタッフに漏らしています(言ったらしいです??)
①自殺未遂が発覚してマスコミに露見し、
自分の想像していた以上に大騒動になった事
②書き残した遺書が第三者の警察に渡り意志表示が露見した事
③ 家族やファン関係者に迷惑を掛けた事
これらの
要因が彼女自身が抱えていた精神疾患に追い打ちを掛け
結果的に
彼女の真面目な性格さが仇となって
突発的に自殺行為を決定付けたと
相澤社長と福田専務、
そしてデビュー時からの溝口マネージャーが会見で述べています。
(心理学の先生も同じ分析見解をしています)
過労うつ病で自死
忙しくて、現実から逃げ出したかった
無理した結果
あのような事故が起きた。。
俳優の名前が
日記に書いてあったから
その俳優が疑われても仕方がないけど。。。
それだけで自殺したとは思えない
やはり
自殺未遂後に
福田さんに何か言われて?
屋上に行ったのかな~と。。。
当時の
岡田有希子さんの
精神状態と自身の置かれた立場
自身が選んだ芸能界
芸能界に
対しての自己矛盾した後悔
いろいろ
自分1人で
かかえていたのかな~と思う。。
18歳じゃ。。
自分で自分が
制御できなくなってるのが解ってたし
他に
当時、岡田有希子さんには付き合っていた
芸能人がいて結婚したいくらいまで気持ちが
あったらしく
その事を事務所に懇願したら
人気絶頂な上に
まだ18歳ということで事務所が猛反対。
そして
その場で屋上に行って?
衝動的に飛び降りたらしいです
とも言われています。
真実を知るのは
社長さんだけ?
何かを知ってるのかも
知れないけど
(全ては語られてない事情がある)
知っていても言わないと思います。
看板などに
有希子さんの
指紋とかなかったのかな?
お母様が言うには
あの子の性格(佐藤佳代)からして
あれが遺書であるなら
必ず、先に死ぬのごめんなさい
とか一言でも書いているはずです、と語っています。
今でも岡田有希子さんを
好きな人は、いっぱいいる
今の若い子は
岡田有希子さんの
事を知ってる人は、あまりいないけど。。
岡田有希子さん
みたいな凄い女性は
もう現れない気がします。
ネットとかで
岡田有希子さん
当時のニュースとか
検索すれば今でも
たくさん見れます
知れます(多分…)
真実は消される?
昔は見れたネット上の動画など
ほとんど消されてますが。。
2008年に発売された
週刊漫画で?
有名霊◯者が??
岡田有希子さんと交信して?
あれは
事故だったみたいな事が
漫画で表現されてた気がするけど。
(有希子さんは外の空気が吸いたくて
外へと出たと)
何が
真実かは、誰も
わからないけど。。
今、もし
岡田有希子さんが
生きてれば
2013年
今年の8月22日で46歳に
生きてれば
どんな、音楽してたのかな~と
思う時がある
ネットで
生前の映像を見ると
いろんな事が、よみがえる
泣きそうにもなる自分
岡田 有希子さん
(おかだ ゆきこ 1967年8月22日 - 1986年4月8日・18歳)
(昭和42年8月22日-昭和61年4月8日 ・18歳)
日本のアイドル歌手(女優です)
本名は佐藤 佳代さん(さとう かよ)
愛称は「ユッコ」
出 身 地は愛知県名古屋市
(出生:同県一宮市)
最終学歴は堀越高等学校卒
(一年途中までは名古屋市立向陽高等学校)
得意科目は絵画・油絵
(学校の授業成績が非常に良かった)
ユッコスマイルを、もう1度
http://ei-sin.main.jp/yukko/index.html
ユッコは、今「佐藤佳代」として、
愛知県佐屋町の成満寺で静かに眠っています。
彼女のご冥福を祈ります。"Yukko, Forever!"
のサイトは現在無いみたいです。
☆永遠のアイドル
岡田有希子さん
(佐藤 佳代さん)
1967年(昭和42年)
8月22日の火曜日(正午頃)
愛知県一宮市桜助産院で
体重二千グラム、体長四十七センチ
佐藤家の次女として生まれる
姉の一文字をもらい「佳代」と名づけられる。
1969年(昭和44年)
2歳の時に一宮市から名古屋市熱田区に引越し
1972年(昭和47年)
愛知県名古屋市熱田区
昭和47年4月、名古屋市立旗屋幼稚園に入園
姉の通ってた『YMCA体操教室』に通い出す
(小学校2年生まで続ける)
天地真理さんや桜田淳子さんのものまねをしていた。
1974年(昭和49年)
昭和49年4月、名古屋市立高蔵小学校に入学
1975年(昭和50年)
2年生、歌の上手さを買われ合唱部に入部。
ソプラノを担当。
1977年(昭和52年)
4年生、絵画教室に通う。
1979年(昭和54年)
6年生の時、音楽劇『浦島太郎』で「乙姫」役を演ずる。
画家かマンガ家か小説家になりたいと思ってた
小学生の時には絵の教室に週1で行ってた
小学3年の時には
体操教室へ通い平均台とかやってた
体はとっても柔らかいんです。
でも運動神経がないんです。
また、
本を読むのが大好きな文学少女で
「どうして人間は寝ないといけないんだろう。
こんなに多くの本があるのに 寝るのが、もったいない !」
と
1980年(昭和55年)
3月に同小学校を卒業をする。
1980年(昭和55年)
3月に同小学校を卒業をする。
昭和55年4月、名古屋市立沢上中学校に入学
1年から油絵を習い始め
河合奈保子さんのファンになる。
1982年(昭和57年)
中学2年生の頃
『ホリプロタレントスカウトキャラバン』など
様々なオーディションに応募するようになる。
ニコンの「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。
中学2年生の終わり頃、
芸能界入りを両親に大反対される。
中学3年生の時に両親より
芸能界入りをあきらめさせるために、
クリアできないと思われる条件
(学校のテストで成績が学年で1番になること、
中部統一テストで5位以内に入ること、
第一志望の高校の試験に合格すること)を提示される
寸暇を惜しんで猛勉強し、
3つの条件を見事クリア
『スター誕生!』のオーディションを受けることを許される。
10月『スター誕生!』の名古屋地区予選で北原佐和子さんの
『マイボーイフレンド』を唄い「合格」。
1983年 (昭和58年)
3月30日、学校を早退してオーディションに出るなら内申書は書けないと
担任から釘を刺されていたが、
当日、学校を無断欠席して
名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい
後楽園ホールで開催されていた
『スター誕生!』の決勝大会に出場。
中森明菜さんの『スローモーション』を歌い優勝。
第46代チャンピオンとなる。
中学3年生の時にオーディション番組
『スター誕生!』の第85代チャンピオンになり
芸能界入り
1983年 昭和58年4月、名古屋市立向陽高校に入学
(当時、5本の指に入る進学校 )
4月「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」
との連絡が入る。
(サンミュージック、キャニオン、研音、VAP)の4社から指名され
福田専務のスカウトで
プロダクションのサンミュージックに入りを決める
(同じ『スター誕生!』出身の桜田淳子さんが長く所属しているなどの理由で
家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)
レコード会社はキャニオンに決めた。
5月15日サンミュージックとの正式契約のため、
母と上京。
相澤秀禎社長(現在は会長)のリクエストに答え、
薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』
と松田聖子の『秘密の花園』を歌う。
向陽高等学校ではサッカー部のマネージャーを務める。
(すぐ辞めれるために)
7月一学期の終業式の日に
クラス全員で送別会をしてもらう。
お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。
1983年8月25日、両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、
新幹線で東京へ
芸能界にデビューするために
実家がある名古屋から東京の
成城にあるプロダクションの相澤社長宅に引越する。
二階の寮の同室には同年3月にデビューした
桑田靖子さんとデビュー前の滝里美さんがいた。
昭和58年9月
高校1年生の二学期に堀越高等学校に転校する
芸能コースD組で学ぶ。
クラスメイトには南野陽子さん
長山洋子さん桑田靖子さんなどがいた
10月
毎日放送のラジオ番組
『サトミ・ヒトミ・ユキコのなにかいいことないか子猫ちゃん』で
レギュラーDJを務める。
昭和59年(1984年)4月21日に
岡田有希子「ファースト・デイト」で
念願のレコードデビュー
(アイドル歌手としてデビュー)
身長155cm。
体重42kg。
スリーサイズはB86・W58・H84。
血液型はO型。
1984年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。
所属事務所はサンミュージック。
当時キャッチフレーズは
「ステキの国からやってきたリトル・プリンセス」
その後
「いつまでも、一緒にいてね」と変わる
☆ディスコグラフィー
☆シングル
1984.04.21 ファースト・デイト
1984.07.18 リトル プリンセス
1984.09.21 Dreaming Girl- 恋、はじめまして
1985.01.16 二人だけのセレモニー
1985.04.17 Summer Beach
1985.07.17 哀しい予感
1985.10.05 Love Fair
1986.01.29 くちびるNetwork
1986.05.14 花のイマージュ
「花のイマージュ」
は1986年4月6日(火曜日)
自殺後にリリースした最期のシングル
2002.12. 04 Believe In You(2002 Strings Version)
☆アルバム
1984. 09. 05 シンデレラ
1984.11.28 贈りもの(ベスト)
1985. 03.21 FAIRY
1985. 09.18 十月の人魚
1985.12. 05 贈りものII(ベスト)
1986. 03.21 ヴィーナス誕生
1999. 03.17 メモリアルBOX
2002. 05.15 オール・ソングス・リクエスト
2002.12.18 贈りもの~岡田有希子CD+DVD BOX
☆映像
1985. 08.21 Yukiko in Swiss
1985.12. 05 Memories of Switzerland
2002.12.18 Memories in Swiss

