コカコーラとペプシコーラ
どちらもプレゼントやキャンペーンなど
毎回毎回して購入者たちを虜にしてます?
自分は
炭酸水系は好きで
疲れた時などに
飲みます。
以前は
ウリベートを
筋トレ後に飲んでいましたが
結構高いしやめました。
子供の頃は
コカコーラや
ドクターペッパーや
ホワイトコーラ
サスケなど
斬新な飲みものもありました。
とくに
ホワイトコーラは驚きました。
ドクターペッパーは
梅干しのタネが入ってる
などと
小学生の頃に
ウワサにもなりました。。w
ただ
小学生の頃に
学校でコカコーラに
10円玉を1日つけておくと
ピカピカになる為や
骨が溶けるなどの
理由で
飲まないようにと
学校の先生から注意を受けたりもしました。
コカコーラって
炭酸?でスゴイ綺麗に
汚れが落ちるんだと。。
コーラのウワサ???
コカコーラ社は民主党と仲がよく?
ペプシコーラ社は共和党と仲がいいみたい?
コカ・コーラ 販売開始1886年
ペプシコーラ 商標登録1903年
日本が
明治時代の時にはすでにあちらでは
コーラが飲まれてた?
コカコーラ社とペプシコーラ社
この2つはコーラの世界シェアでは
2大巨頭と言われていて何かと張り合ってるそうです。
ちなみに世界シェア3位のコーラ会社は
ロイヤルクラウンコーラ社だそうです。?
世界シェアではコカコーラが勝ってますが
カナダやインドやアフリカではペプシが人気が
あるみたいです。
コーラに関して
いろんな説がありますが?
もともとコカコーラは頭痛薬だった。
そしてペプシコーラは胃薬だった。
水で薄めて飲んでいたものなのですが
どこかの薬局の人が
間違えて炭酸で割った物を処方しまして、
それ以来
清涼飲料水になりましたとか?
薬だったころの
コーラには痛み止めの成分として
モルヒネが入っていたそうです?
ペプシは最初は消化不良に効く薬として
販売されていました。
消化酵素であるペプシンが含まれてた。
コーラは
元は薬みたいですが、
製法はシークレットですね。。
ペプシの方が薬っぽい?
コーラは基本的に「砂糖水」?
砂糖を煮詰めて
こげ色がついたのが、
コーラの黒色(カラメル色素)で、
そこに炭酸と香料を加えたらしいですが?
コーラの成分とは?
その歴史についていろいろと
ありますが?
【①はじめに】
世界中で飲まれているコーラについて興味をもち、
世界文化大百科事典(世界文化社)で
その定義を調べた。
コーラの定義は以下のように示されていた。
コーラ飲料…炭酸飲料の一種。
アルカロイド系の刺激成分を含む植物の種子や葉部の成分を
アルコールなどで抽出・添加し、調合・味付けしてつくる。
コカ・コーラはコカノキの葉とコーラノキの種子を
原料とするものであるが、
その原料配合は明らかにされていない。
そこで、前述したコーラの定義について詳しく調べ、
コーラがどのようにして普及し、どのような歴史があったのか。
そしてコーラの主成分は何か。
コーラは本当に体に悪いのかということを中心に文献調査した。
【②方法】
文献調査は、
コーラに関するものを集めた。
一口にコーラといってもメーカーは多数存在する。
しかし、市場に出回っている
コーラの文献はほとんどが
コカ・コーラ社についてのものばかり。
ペプシ・コーラ社のものもあったが、
100周年記念の本など、研究にはふさわしくなかった。
また、清涼飲料水を取り扱った文献には
コーラは数ページしか紹介されておらず、
研究には不適格とした。したがって、
この調査はコカ・コーラ社についてのものがほとんどとなる。
【③結果】
コカ・コーラが登場した1886年当時、
コカインに常習性があることはまだ
一般には知られていなかった。
けれども1900年代に入った
今ではその害は明らかで、
コカ・コーラも非難の対象となった。
あるアトランタの医師は、
次のような13歳の少年の例を挙げた。
少年は毎日グラスに10杯から12杯のコカ・コーラを飲んでいたが、
仕事をクビになり、コカ・コーラを買えなくなってしまった。
少年は非常に落ち着きのない、
崩れ落ちんばかりの状態で医師の元にやってきて
「体がおかしくなってしまった」と告げた。
このような例は裁判での証言として多数知られている。
もっとも、当時の薬局では規定の
4倍程度の濃さのコカ・コーラが売られていたようであり、
そのこともコカイン中毒様の症状と無関係ではなかったようである。
非難の高まりには勝てずついに
1903年8月、原料に使用するコカの葉を
脱コカイン処理するように処方を変更した。
しかし、コカ・コーラ社はこの事実を隠蔽した。
有害のものが含まれる飲料を販売していたということに
なるわけにはいかなかったからだ。
そして、当時の社長キャンドラーは
「コカ・コーラには一度もコカインは含まれていなかった」
と宣誓したのである。現在でもコカインについては、
コカ・コーラ社は口を濁している。
【④考察】
コーラの一般的な定義は、
コラ・ナッツ(コーラノキ)の抽出物(カフェイン)と、
コカの葉の抽出物(香料)を含むものであると言える。
しかし、この定義はコカ・コーラにしか当てはまらないと考えられる。
インドの地コーラにはカフェインは勿論、
コカの葉は含まれていない。
コラ・ナッツ抽出物(カフェイン)の苦味が
他の味に微量加わると味全体を複雑にし、
甘さを引き立てることから、
コカ・コーラの味には必要不可欠であると考えられる。
コカの葉は脱コカイン処理により安全な物へとされているといわれているが、
コカ・コーラ社が調合内容を公開しない限り、
確実なことは分からないのが現状である。調合内容を公開してしまうと、
他社に味を盗まれるかもしれない。
もし、香料としてコカの葉を本当に使っているのなら
問題が起こるからかもしれない。
【⑤おわりに】
コーラを調査するに当たって、
ほとんどがコカ・コーラについての
情報になってしまったのが残念だった。
ペプシの後に出てきたRC(ロイヤル・クラウン)や
南米で強い人気を誇るインカ・コーラなども調査したかったが、
文献がほとんど見当たらなかったためあきらめることになってしまった。
もちろんコカ・コーラこそが現在考えられている
コーラの始祖であり、
現在まで続くその歴史がコーラの歴史の背骨を形成
することは疑う余地もない。
はたまた?
コーラの歴史 ってもあり
「コカ・コーラ誕生」
このDr.Penbertonさんが
コーラの生みの親。

世界初のコーラであるコカ・コーラのお話。
今回の主人公は薬剤師Dr.Penberton。
現在ではコカ・コーラの発明家として有名
1831年にジョージア州で生まれ、
17歳でジョージア南部漢方医科大学に入学した彼は、
すでに究極の薬を作るという夢を持っていた。
しかし、1853年に結婚して男児一人をもうけ,
薬局の商売が軌道に乗り出した頃に南北戦争が勃発してしまう。
愛国心の強い彼は南軍に一等兵として参戦し、
兵役免除年齢になっても義勇軍を組織した。
しかし年寄りの冷や水(当時の平均寿命42歳)、
65年の戦闘で弾丸にあたり、
サーベルで切られて、
その傷がもとでリューマチまで煩ってしまう。
戦後,彼はアトランタで薬局を開くが、
72年に破産。 建て直しを図るが
74年と78年に火災に遭い、
在庫の殆どを焼いてしまう。
「何がなんでも完璧な薬を作る」と燃えていた不屈の男ペンバートンは,
79年に借金を払い終えると新薬の開発に取り組んだ。
これはそこそこヒットするが、彼の求めるものではない。
悩むペンバートンの目に止まったものは,
当時話題になっていた「奇跡の植物」コカであった。
その頃既にコカを使った飲み物が存在した。
アンジェロ・マリアーニが薬用酒「ビン・マリアーニ」を発明、
ヨーロッパで大ブームになっていたのだ。
これはワインにコカの成分を溶かし込んだもので、
エジソンやローマ法王までもが愛飲したという伝説の飲料である。
ペンバートンはすぐさまこれを真似たものの制作にかかり、
その結果生まれたのが
コカ・コーラの祖「フレンチ・ワイン・アンド・コカ」であった。
コラの実抽出物、つまりカフェインが入った事もあり、
この模造品は本家「ビン・マリアーニ」より優れた物であったという。
これが1週間で1000本近くも売れる大ヒット商品に。
まあ麻薬を売ってる訳だから反則っぽいんだけど
(注 当時コカインは麻薬とは考えられていなかった)
これで一生遊んで暮らせると思ったとたん、
19世紀終盤に起こった禁酒運動である。
人々がアルコールの害について騒ぎ出し
、禁酒令を出す州が現れはじめると、
彼のフレンチ・ワイン・アンド・コカも当然攻撃の対象になる。
コカインが容認されてアルコールが禁止という、
ペンバートンはまた新たな薬の開発をしなくてはならなくなった。
しかしペンバートンは負けなかった。
リューマチの悪化と戦い、
モルヒネ中毒になりながらも自宅の裏庭で
「禁酒用飲料」の研究を続けたのだ。
そして1886年、水と炭酸水を間違えるという
偶然の助けを借りて非常に美味しい禁酒用飲料、
後にコカ・コーラと言われるものを完成させるのである。
ペンバートンは
このコカ・コーラを
Jacob's Pharmacyで1杯5セントで売り出し、
フレンチ・ワイン・アンド・コカ程ではないしろ大ヒットする。
1887年に特許も下りて順風満帆に思えたこの事業だが、
同年彼はコカ・コーラの権利を売却してしまう。
これに関しては「モルヒネを買う金を工面するため」や
「息子のチャーリーが酒に酔って売ってしまった」
など様々な説があるが、 真相はよく分っていない。
その後も2重売却や文書偽造事件などごたごたが続き、
結局企業家E.G.キャンドラーがこの事業を引き継ぐ事になる。
この辺に関しては
徳間書店の 「コカ・コーラ帝国の興亡(原題 For God, Country, and Coca Cola)」
に詳しく書かれているみたいです。
味に優れたコカ・コーラは、
キャンドラーの手腕もあって一躍有名になる。
この頃から人々の間でコークに対する認識が薬から嗜好飲料へと変化していき、
女性の消費者も現れはじめた。
キャンドラーはコカ・コーラの瓶詰め販売に着手する。
このとき生まれたのが現在でも使用されている6オンス(190ml)瓶である。
あの独特のデザインは当時すでに大量に存在した模造品の対策としても
非常に有効 (瓶の型を意匠登録したため)で,
コカ・コーラをアメリカ中どこへでも流通させることをも可能にした。
コカ・コーラがアメリカ全土に広がるにつれ、
誰でも簡単にコカインの含まれた物が入手できることに不安を抱く人が急増する。
これに対するキャンドラーの対応は驚くほど速かった。
コークのアイデンティティーであったコカインを除去したのだ。
これによってコカ・コーラは健全で美味しいアメリカの国民飲料の資格を得、
黄金時代を築いていくのである。
一人の天才の熱意から生まれた黒い液体は、
その後1世紀以上も愛され続けるほどの完成したものであった。
それは偶然なのか、それともPenbertonの直感であったのかは不明?
日本人はコーラ派?ペプシ派?