私には2人の大好きなおばあちゃんがいました
柳ばぁは父方の祖母で、おととしの12月1日に95歳で亡くなり、
広ばぁは母方の祖母で、去年の12月27日に90歳で亡くなりました。
今日は、2人の祖母の事について書きたいと思います
柳ばぁは、上品でキレイ好きの優しい人でした。
女優で言うなら、八千草薫的なカンジでしょうか?
私は3人兄弟の1番上で、下の子が生まれそうになる度に
柳ばぁのトコロにあずけられていた事もあり、
第2の母のようなカンジでもありました。
私がキテレツな事を言ったり、お転婆がすぎるような事をしでかすと
「まぁっ」と呆れて言葉を失って、
「うららさん、ここへお坐りなさい」と優しく説教されるのでした。
うちのヒステリーばばぁのマミーと違い、理路整然とした説教は
非常にここちよく、わざと怒られるような事をしてた気がします
そんな柳ばぁの自慢は、まぁうちの父でもあったでしょうが
柳ばぁのお父さんで(私の曾じいちゃん)、写真も飾ってありました。
柳ばぁのお父さんは、とってもエライ人で
若い時、アメリカのワシントンDCへ留学してたんだそうです。
柳ばぁのお母さんは、お父さんの顔を見た事もないのに
船でアメリカに渡り、結婚したんだって
あー、そんなどうでもいい事ばかり思い出します。
88歳の時に、脳梗塞で倒れてから施設に入っていましたが、
おととし、私がストマ閉鎖のオペで入院してる時に亡くなりました。
お葬式に出てないので、なんとなく亡くなった気がしません
一方の広ばぁは、美人で明るくひょうきんな人でした
柳ばぁは、ダラダラしてると怒られそうで緊張するけど、
広ばぁは気が合うし、非常にラクでした。
広ばぁの家に行くと、私だけいつも広ばぁと一緒に寝てました。
広島に住んでいたので、広ばぁなんですが
広ばぁは、原爆手帳を持っています。
原爆が落ちた時、広ばぁは家の中で繕いものをしていたそうです。
すごい音にビックリして外に出てみたら、
となりの奥さんが洗濯ものを干している形で
真っ黒焦げになっていたそうです。
広ばぁの家も、爆風でナナメったそうです。
その後、広ばぁは広ばぁの夫(私のじいちゃん)を探しに
焼け野原を何日もさまよったとか…。
そんな広ばぁは、いつも
「うららが早く結婚してくれんと、先にお迎えが来てしまうわ~」
と言ってたから、結婚式に来てくれた時は嬉しかったです
広ばぁが認知症が進み、病院に入ったあと、
私はガンになりました。
私がハデなバンダナを巻いてるのを見て、
「うららちゃん、どしたん?変なもの頭に巻いて~」と言うから
「ん?私、ガンになって抗がん剤したから、髪の毛ないの」と言うと
「うそっ!ホントね!」っていつも言ってた
「ついでに言うと、お父さんも大腸ガン」←やめれw
「え」
お通夜の時、叔父さんにその話したら
「わしゃー言うたらいけんと思って言わんかったのに、信じれん。
なんで言うんかいのー」って呆れてた
現実と繋がったり、分かんなくなったりするからいいかな~って
そんな広ばぁのお通夜での話
遺影の広ばぁが、あまりにもキレイで涙が止まらない中
お坊さんが話してくれた話に感動したので書きます。
ところどころ、忘れちゃったのですが
あなたにとって、故郷(ふるさと)とは何ですか?
あなたの両親のいる所ですか?
兄弟のいるところですか?
育った場所ですか?
友達のいるところですか?
(この後も色々仰ってたけど、忘れました)
〇〇宗では、お釈迦様のいるトコロが故郷になります。
悲しむ事はありません。
故人は、お釈迦様のトコロで待っていてくれます。
あなたが亡くなった時、また会えます。
その時に、あなたの一生について聞かれた時
あなたは故人になんと答えますか?
人は誰でも死ぬんです。
何のために生まれてきたのか?
今、考える機会を与えられたのです。
あなたが亡くなって、故人に会った時
答えられるように、これからの人生を大切に生きてください。
ガンになってから、何度も思いました。
私は何のために生まれたのか?
結婚したけど離婚したし、子供も生めなかった。
でもだからこそ、何かできる事があるはず
何をしていいか思いつかないので、
とりあえず、ブログを書き続けてます
最後まで読んでくださって、ありがとうございました
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それにしても、どっちのおばあちゃんも長寿だよね。
私にも長寿遺伝子あるよね~
ぽちっとお願いしま~す