My Musical History 1980年代、11
文化祭2日目は、アコースティックユニット"TADENGEE"のステージ
だ。THE ALFEEのコピーを中心にしたセットリストである。
だが、"メリーアン"など演らない。THE ALFEEがまだアルフィーと
名乗っていた頃の曲を演る。落日の風とか。
その中で、僕は1曲だけ、ビートルズナンバーでベースを弾き、
ヴォーカルをとった。曲は"Nowhere Man"である。ベースのラインを
追いつつメロディを歌い、なおかつコーラスのハーモニーを成立
させるのは、最初は骨が折れたが、 なんとか歌いきることが出来た。
この"TADENGEE"、前年の文化祭にも演奏をしている。その時
は歌の他にお笑いの要素も盛り込んだ、エンターテインメント性の
高いユニットであった。これは、中心メンバーのK先輩による
ところが大きい。(また観たいなあ、「ゾウムシ」)
とにかく、アコースティックユニットの可能性と、肉声による
ハーモニーの心地よさを教えてくれたのが"TADENGEE"であり、
メンバーの先輩方である。
現在僕が、バンドと並行して弾き語りやアコースティック
ユニットを細々とながらも続けているのは、この先輩がたからの
影響が大きい。
ところで、"TADENGEE"は、メンバーでTADENGEEの名付け親
でもあるO先輩の結婚式の披露宴で再結成し、「明日なき暴走の果てに」
を演奏した。
文化祭2日目は、アコースティックユニット"TADENGEE"のステージ
だ。THE ALFEEのコピーを中心にしたセットリストである。
だが、"メリーアン"など演らない。THE ALFEEがまだアルフィーと
名乗っていた頃の曲を演る。落日の風とか。
その中で、僕は1曲だけ、ビートルズナンバーでベースを弾き、
ヴォーカルをとった。曲は"Nowhere Man"である。ベースのラインを
追いつつメロディを歌い、なおかつコーラスのハーモニーを成立
させるのは、最初は骨が折れたが、 なんとか歌いきることが出来た。
この"TADENGEE"、前年の文化祭にも演奏をしている。その時
は歌の他にお笑いの要素も盛り込んだ、エンターテインメント性の
高いユニットであった。これは、中心メンバーのK先輩による
ところが大きい。(また観たいなあ、「ゾウムシ」)
とにかく、アコースティックユニットの可能性と、肉声による
ハーモニーの心地よさを教えてくれたのが"TADENGEE"であり、
メンバーの先輩方である。
現在僕が、バンドと並行して弾き語りやアコースティック
ユニットを細々とながらも続けているのは、この先輩がたからの
影響が大きい。
ところで、"TADENGEE"は、メンバーでTADENGEEの名付け親
でもあるO先輩の結婚式の披露宴で再結成し、「明日なき暴走の果てに」
を演奏した。