安部政権への批判の声は何処へ? | 飛ぶホタルのブログ

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地方の大学に通うモラトリアムな大学生による日記です。

ブログを書くことによるストレス発散、アウトプットを目的とし、書く行為自体が自己満足なものとなっています。
では本日のブログをどうぞ!

安部政権が高い支持率を得ている理由は目標を景気回復の一点に絞っている点にある。
日本人の関心は景気回復に集中しており、内閣の思惑に反して憲法改正への関心も問題意識も高くはない。
その証拠にアベノミクスをいう安部内閣に対して、批判の声がほとんど上がらない。
この理由を考えるとあっけにとらわれてしまう。内閣を批判することは、景気回復を望まないことを意味してしまうからだ。なんとなくそんな雰囲気になっていて、口が噤まれてしまう。
実際、アベノミクスに対しては、初めから本当に大丈夫なのか?という声はもちろんあった。しかし、それは小さなつぶやきのようなもので批判の声にはならない。なぜなら、第一の矢といわれる異次の金融緩和が実効性があるのかどうかが誰にもわからないからである。だから、景気が逆転を始めればアベノミクスに対する批判の声が上がる。だからと言ってそれ以外に景気回復を進める手段があるのかと問えば、声はかえって来ないだろう。
ここで、どうして日本の政治に対して批判の声が上がらなくなったのかについて考える。それはもしかしたら、敗退した民主党政権のせいではないのだろうか。政治の世界に威勢のいい言葉からは言ってはダメだということで現れた新政党も出現した。安倍政権のすぐやる姿勢もいうだけではだめだということの裏返しだろう。
だから批判するだけではだめだという声が広がり、言論が衰退してしまったのではないのだろうか?
しかし、国民は政治家と違う。国民というのは、政策は政策として、でもなんか変?疑問を解決してほしいと政治家にいうもので、政治家はその声を聞いて事態の改善を図るべきものだ。
だからこそ、うっかりと国民の声を聞いてしまう安倍政権はしたい暴走をせずに微妙な踏みとどまり方をする。
その点で批判の声はしっかりと生きている。
だから批判するだけではだめだという声に負けずに、いうべきことを言うべきであると思う。

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