飛ぶホタルのブログ

飛ぶホタルのブログ

地方の大学に通うモラトリアムな大学生による日記です。

ブログを書くことによるストレス発散、アウトプットを目的とし、書く行為自体が自己満足なものとなっています。
では本日のブログをどうぞ!

Amebaでブログを始めよう!

米国のマース社 (日本での発売元はマース ジャパン) が販売しているスナックバーである
構成としてはピーナッツ入りのヌガーの上にキャラメルを絡めたピーナッツの層を重ね、ミルクチョコレートで全体を覆った棒状の菓子といえる
コンパクトな形状で携帯性に優れ、糖質・脂質などのエネルギーを迅速に摂取できることからサバイバル食や軍用レーションにも用いられる。

 

 

ご飯とパン、どっちが好き? ブログネタ:ご飯とパン、どっちが好き? 参加中

私はパン派!

本文はここから



ご飯とパン、どっちが好き?
  • ご飯
  • パン

気になる投票結果は!?



朝ごはんはパン!!!

パン特有のにおいがたまらん!
日本人だが、朝ごはんはコメよりもパン!!
自分のやっていることに何の意味があるのか?

幸せの定義とは何か?

将来の目標とはなにか?

研究室の行事には参加すべきなのか?

等つらつらと考えた一日であった。

では、幸せの定義について考えてみよう。

「現状に満足し、上を目指さなくなる状態。」を前提として考えてみる。

いま21年と少し生きてきて幸せと感じた瞬間はいくつかあったであろう。

しかし、それはひとときの出来事であり、また次の目標を定め新たな幸せを感じるための行動を起こすことで人生を作り上げてきた。

今日は幸せを感じるにはどうしたらよいのかと一日悩んだ。結論としては、目標を定めそれに向かって日々努力を積み重ねて、それを達成し幸せを感じている自分を想像することが日々の生活を充実させる糧になると考えついた。

現在興味のある食品、経済の基礎、佐藤氏・大前氏の本から知識を吸収し、将来の目標の明確化とその実現に向けた努力を積み重ねていこうと思う。

日々の小さな達成感が重要である。
国内農業の再編に注目が集まっているどすれば、稲作の競争力を高められるのか?
 まず、日本のコメの人気について考えてみたい。日本の食文化の浸透には目の見張るものがある。そこに日本の商機を見出してはどうだろうか。だが外国産の2~3倍の高価格では、コンビニなどではコストの関係から採用しにくいという点が指摘される。
そのために農政はどう変わるべきか?
まず、生産調整を見直すことではないだろうか。これまでは作りすぎによるコメ価格低下を恐れて減反政策を進める守りの姿勢に入っていた。国による保護政策がその裏にはある。
これからの農業にとって必要な姿勢は、減反の見直し、兼業保護の見直し、農協に依存しない農業経営を作るなど、
攻めの農業である。日本のブランド力を市場で生かしコスト競争力を高めていく改革が求められる。そのためには国の政策の後押しが必要である。

将来の農業の担い手に向けた支援について
現在の政策である戸別所得補償制度では、兼業農家と専業農家に一律に補助金を出すという仕組みである。
この制度に対して考えられる問題点は農業の活気の低下である。
現在農業の収入だけでは採算が取れないために兼業農家の割合が増加している。
しかし、そのような農家では勤めながらの農業であるので機械への投資等による借金がかさみ、農業に対して次第にドライになっている傾向がみられる。そのような厳しい状況下では後継者が育たない。農業のできない人が相続することで耕作放棄地となってしまう。
上記の問題点に対して農林水産省は、農地中間管理機構を作ろうとしている。
カギとなる事柄は、誰に農地を集約するのか、担い手の選定である。経営能力も求められる。今後、教育された担い手を見つけることがこの政策の要となっていくだろう。


安部政権が高い支持率を得ている理由は目標を景気回復の一点に絞っている点にある。
日本人の関心は景気回復に集中しており、内閣の思惑に反して憲法改正への関心も問題意識も高くはない。
その証拠にアベノミクスをいう安部内閣に対して、批判の声がほとんど上がらない。
この理由を考えるとあっけにとらわれてしまう。内閣を批判することは、景気回復を望まないことを意味してしまうからだ。なんとなくそんな雰囲気になっていて、口が噤まれてしまう。
実際、アベノミクスに対しては、初めから本当に大丈夫なのか?という声はもちろんあった。しかし、それは小さなつぶやきのようなもので批判の声にはならない。なぜなら、第一の矢といわれる異次の金融緩和が実効性があるのかどうかが誰にもわからないからである。だから、景気が逆転を始めればアベノミクスに対する批判の声が上がる。だからと言ってそれ以外に景気回復を進める手段があるのかと問えば、声はかえって来ないだろう。
ここで、どうして日本の政治に対して批判の声が上がらなくなったのかについて考える。それはもしかしたら、敗退した民主党政権のせいではないのだろうか。政治の世界に威勢のいい言葉からは言ってはダメだということで現れた新政党も出現した。安倍政権のすぐやる姿勢もいうだけではだめだということの裏返しだろう。
だから批判するだけではだめだという声が広がり、言論が衰退してしまったのではないのだろうか?
しかし、国民は政治家と違う。国民というのは、政策は政策として、でもなんか変?疑問を解決してほしいと政治家にいうもので、政治家はその声を聞いて事態の改善を図るべきものだ。
だからこそ、うっかりと国民の声を聞いてしまう安倍政権はしたい暴走をせずに微妙な踏みとどまり方をする。
その点で批判の声はしっかりと生きている。
だから批判するだけではだめだという声に負けずに、いうべきことを言うべきであると思う。

A130629