ディア・ドクター | だめ人間のたのしい余生

ディア・ドクター

『ディア・ドクター』観た。

よかった。

『蛇イチゴ』よりちょっとよかったし、『ゆれる』よりも物凄くよかった。

 

なかでもラストシーンがめちゃくちゃよい。あれで、全部包み込んじゃった。

ミステリのようでもあって、ヒューマンドラマと呼ぶのが一番説明するのに相応しくて、ときどき青春モノのようにも感じられて、でも群像劇としての側面も持っていて、なのにラブストーリーかもしれなかった。

あぁ…僕が映画評論家にでもなったら、直ぐにでも食っていけない。

しかしラストシーン、ってのは西川監督の映画を語るうえでは重要なピースといえるのかも。

『ゆれる』とか、ラストシーンでグッと締めたし(しかし僕にとっては、何を隠そうそのラストこそが、あの映画を嫌いな理由なわけで)。

昨日(『ディア・ドクター』は水曜)はフェリーニの『青春群像』を観たんだけど、フェリーニも西川監督と似たところがあってラストシーンが印象的。『8 1/2』とかのラストは中毒的な高揚感があるし、『道』はラストを観てこそそのやりきれなさが大きく滲んでくる。

Dear Doctor.

人間としての尊厳はどこにあるか、みたいなことだと思うんです。

現代においては、生き方(ライフスタイル)としての正しさを、法とか規範がある程度決めてる部分があって。

それはやっぱり、おかしなことだなあ、って。

いや、おかしくはないんだけど、でもって「なるべくしてなった」部分は少なからずあるはずなんだけど。

でも、それは『概念』でしかない。

結局は「誰か」が決めたことでしかないのに、それが世界のすべてのように認められていたりする。

まあ、それを「川の流れ」にたとえたとして、その流れに乗るか、逆らうか、横切るか、それとも橋をかけるか…ってのは、それぞれの自由なんだけど。 

で。また話が長い。

人間とはどうあるか、ってことと、映画とはどうあるか、ってことはすごい近いところにあるんじゃないか、と思ってるんです。

だから、どうとか、じゃなく、ああ近いなあ、って思ってて、いや、やっぱり、だからどう、って話で、映画で人間を描いてしまう以上は、メタ的な解釈から逃れられないと言うか。

いや、そういうことじゃないな。

なんだろう。

少なくとも、どちらもひとつの答えでは見えない問答であって、だからどちらも愛おしいんです(うまくごまかした)。

  

 

いま、『ガラスの仮面』を読み返してるんだけど、めちゃくちゃ面白い。

「なんて子!!」「おそろしい子!!」率が高い。

そして、総じて舞台の観客のマナーが悪い。役者の耳に届くほどの声で喋るな(しかも大劇場で)。

あ、でも本当に素直な気持ちで面白いです。

映画作る人間としても、「ほうほう」と考えを巡らせるところもあったりするし。

適当に言った感はあるけど、やっぱり曽田正人の『昴』はこの作品のテンションに近い。

個人的には、『真夏の夜の夢』のパートが昔から好き。と言うか、そこ以外今まで印象に残ってなかった。
ダメ人間の偉大なる余生-亜弓さま

↑亜弓さま。真のヒロイン。

亜弓さまの白目はあまり見つからない。

↓白目の見本。
ダメ人間の偉大なる余生-なんて子!!



 

 

 

ちょっと前から、ときどき急にTIGARAHの『Space Travel』って曲のサビが頭の中をループする。

たまたま何度かスペースシャワーてぃーびーで聴いただけなのに。

http://www.youtube.com/watch?v=H6k2kgU30rg

改めて聴く。

やっぱ耳に残る。メロディも気になるし、歌声も気になる。

しかし何なんだこのTIGARAHって人は。正体不明。

 

明日は朝から撮影。

16mmフィルム。

撮影監督。

よし。